あそび、むすび

“あそぶというのは、あらは(顕)れる、ということですから。
かみあそび、ことばあそびで、どうでしょうか?

……不敬、って、いわれませんかねぇ
それをタイトルに掲げるのはさすがにどうかと(名前負けしそう……)

物語も、言葉も、約束も。どれもあらわれては、最後には結ばれるもの、です。

ひそひそ、と、こんな会話から決まったタイトル。

そんな「誰か」との会話と、自分の何かを、つづるところ。”

No.83/反省タイムと内省考察と

知主さんと。

「前回のわちゃ回について反省している話をします…私は神さまを軽い扱いにした結果、神さまの本来の出力まで落としちゃうところでした」
「素直でよろしい」
「とりあえず、『君、自分がやることが神様にどんだけ影響与えるか考えなさい。神さまは信じて仰ぎ見るものなの』的なことを会長から言われました……その結果で、ラジオも一度は普通の人間が作った限界のような出来になっちゃって。それが素直に悔しいし恥ずかしかったです。神さまはお祀りするくらいなんだから、ちゃんと尊重もしないといけなかったなって……あの、なんで無言で頭ぽんぽんするんですか……?」
「ん? 反省しているから?」
「……とりあえず、月曜にアンチ系のエネルギーが取れてから思い直すと、あの時何か、被害者意識とか、不満のエネルギーのようなものにずいぶんと取り憑かれていたような気がします。自分だけなんだかたくさんやらされて不公平じゃない?他の人はなんで自分でやらなくて、しかも腕こまねいてるだけで何にもやってくれないの?手伝ってくれてもよくない?みたいな。
一方で、そんなこと言っても、自分から見たら見えないところでは、その人たちが裏ではたくさん同じように事情や難しさを抱えていて、みんな必死なんだから、そんなことは思っても仕方がない、と自分に言い聞かせてもいたけれど、やってもやっても結果がついてこなくて、自分だけ責められてる気がして、なんで?と報われない気持ちを抱えていました。
その根っこがどこからきたかを漠然と考察していたんですが、なんとなく、ネット社会じゃないかなって思うんですよね。みんな満たされてない。誰かが楽していたりズルしてサボっているのに、自分たちは大変な思いをして一所懸命やって、でも報われてない。じゃあ、そいつらも自分たちと同じように地獄を見るべきだ、という感じの思いが、SNSを中心に渦巻いているのじゃないかと。
私は子供の頃から、そういう、匿名で人を多少言葉でいじったり、対立を煽ったり、傷つけてもいいという風土の大人たちを見て育ちました。傲慢で賢しらで頑なで、そういう、ダメな人間とかオタクの人たちの悪いところを真似して、それでコミュニケーションを覚えて育ったと思います。だから、大人になってもしばらくは人間関係や距離の取り方がかなり難しかった。今もそう。そしてたぶん、今のZ世代からしたら、状況は変わっていないか、もっとひどい。ネットで憂さ晴らしをする人たちは多いから。
まあ長くなりましたけど、つまるところ、そういう大人しか、子供の私に触れられる範囲にはいなくて、社会性を学ぶ機会も、ダメだと言われることも少なかったなって。いやこれも本題からズレるな。うん、まあ、私は要するにずいぶんと傲慢で、コレは一生背負うレベルのテーマなんだろうなと思います」
「それは早く悔い改めればいいだけの話だよ」
「うう、どうやったら改められるのかなぁって模索してるところですね…自分でも嫌だとは思ってるんです。とはいっても、悔い改めって、なかなか進まない。どこかで自分が変わりたくない、悪くないって反発する部分があるから。それをずっと根っこを探して、とってとってとり続けて、って、探査して処理し続ける地道な話になるんですよね…それでアンチシンロジーとか、人間の頑なさをどうにかするようなデータが出てくるんだから、なんだか規模の大きな話だと思いますけど。最終知識の時と同じで、人類全体の話を最小単位で進めているんですよね。昔日月神示とかで、型として出せば将棋くらいの話で済むんだよ、って書いてあった気がするんですが、波動シールを貼りながら、これってそういう話だよなぁ、って常々思います。で、今もなんかおなかが勝手にムカついてるんですよね。自分の感情と切り離してもまだムカついているので、自分の感情に対する体の反応を好きに操作されてるって、気分は良くないですよね」
「ふうん。それで今のムカつきって何に対してなの?」
「たぶん、いろいろ予定通りにぜんぜん片付かないので、仕事がもろもろ遅れていることについて、あれこれ積む会長のせいだーって思いに持っていって、必要以上にイラつかせてる何かなんですよね。これも月曜日の頑なで賢しらな人間からの解放の亜種だと思うんですが、とにかく自分でもちょっと勝手気味に腹が立つのが本当に嫌です。あとは単純になかなか会長が満足いくものができない現状の自分の情けなさへの苛立ちですね」

「ほんとにこれ(お腹が勝手に腹を立てるの)嫌いなんですけど、どうしたらいいんでしょうね?」
「報われない思いってやつだよね」
「なんでこんなに頑張ってるのに結果が捗々しくないの!っていうね。頑張ってるって基準が甘いんじゃない?と厳しめな私は後ろから言うんですけど」
「あはは。人間のコメントは理不尽だろう」
「自分のことをこんなにやってきた人間だから認めてほしいとか、今回のそれはここが間違ってるから(ぜんぶ)悪い、やりなおせとか。
承認欲求の段階で何かつまづいて、とにかく権威づけで認めてもらおうとしたり、人を下げたり。自分のことも言えんなと思いつつも…そういう形で自分はまだ認められてないだけで正しい(だから悪くない)って正当化がある。それを自覚すると、もう、自分でも嫌いってもんじゃないですよ…」