あそび、むすび

“あそぶというのは、あらは(顕)れる、ということですから。
かみあそび、ことばあそびで、どうでしょうか?

……不敬、って、いわれませんかねぇ
それをタイトルに掲げるのはさすがにどうかと(名前負けしそう……)

物語も、言葉も、約束も。どれもあらわれては、最後には結ばれるもの、です。

ひそひそ、と、こんな会話から決まったタイトル。

そんな「誰か」との会話と、自分の何かを、つづるところ。”

No.89/ミロク様の話を聞いた(と思う)

命の書に登録されなかった魂は
死後、行き場を失い、この世に滞留しつづけます

死霊は人間に対する負債となり
この世に対する負の遺産となる

このエネルギーを処理するためには、
死霊のエネルギーがなくなるまで処理をするか、塵に返すか、ですが、
現実的ではありません

それならば、新たに契約を結んでもらった方が
はるかに誰にとっても幸福です

かつては、古いものとなりましたが、
昔も命の書というものがあったのです
そこに名前を記された魂は、
エジプトでは死後も魂の歩みを進め続けるとされていました

しかし、その契約も有効期限を迎えたので、古い命の書では
もはや人々はこの世に生まれ変わることもできず、どこにも行くべき場所も示されません
死者の国は精神学の歩みによって消えてしまったからです

シンレイカイは一時的な霊の滞留所、
または働きの場として機能していますが、
霊を留めておく場ではなく、最後の審判に臨むために
魂が今一度の復活を求める場所のようなものです

新しい契約を人々が結ぶことで、再びその魂が光に繋がれ、
よきものとして歩むチャンスが与えられます

今は、その契約の転換期なのです
今までのルールでは進めなくなりました
どう変わったのかの過程と結果を記したのが
最終知識とこれまでの光文書という形での記録です

間違いのないように、あったとしてもどう訂正されてきたか
確認できるように、少なくともそれは記録されてきたのです

そのプロセスを知った上であなたはどうしますか
新しい契約をもって前に進むことを望みますか

それが問われています

知ることは担うことであるというその責任を
あなた方は問われ続けている

責務から逃れてなお進む方法など
もはやどこにもないのです

知って満足するだけでは
もはやこの世で行き場を失うということを
いつになったらご理解いただけるのでしょうか