投稿者「hikarinooto」のアーカイブ

幻想

以前も少し書いたことがあるのですが

引き寄せの法則と世間で呼ばれているものについて
もう少し記述してみたいと思います。

スピリチュアル好きな人の大半は目にしたり
やってみたり、はまり込んだりしているように思います。

引き寄せの法則のルーツは
一神教より派生しており
異端の一神教宗派である「ニューソート」の思想、
教義をルーツにしています。

その中でもマーフィーの法則が有名ですが
マーフィーに行きつくまでに
5人の人がおもにかかわってきたとされており
その中の3名がメイソンリーだったり
布教活動家がいたり
イエズスのメンバーがいたりしたとされています。

その思想のおもだったものは
・一神教の三位一体の否定
・生物などの中には神が存在する
・イエスだけが神の子ではない
・原罪を否定(アダムとイブの物語が由来)
・催眠の概念(派生してアカシックレコード、仏教的なアカシャ?)
・病気の原因はすべて心のありようで、正したら治すことができる
・潜在意識で願望成就や病気が治るとの主張
・ポジティブシンキング
・アンチキリスト

ですが

日本でも大企業の経営者がかなり影響を受け

また、小林正観やそれを受け継いだその師範代と呼ばれる人
そして、「予祝」とよばれるものにまで影響を及ぼしていると言えます。

わたしは「予祝」と呼ばれているものが
和風引き寄せの法則にすり替わってしまっているのではないかと考察しています。

その昔、祭りは庶民の間では
春が無事に訪れたことを神々などに感謝したり
秋には実りがあった事を感謝し
先の平安を同時に祈っていたものと考えますが

それが、なぜか
春には秋の実りを予め祝って(願って)
秋にはあたたかな春の訪れを予め祝って(願って)
みたいにすりかかっているように感じます。

そして、どちらも(アファメーションと言われるものも含めて)
「願いが叶ったかの如く想像し、繰り返せ」
というのが共通

でもそれは、自身の小宇宙に問題があったら
その問題を見えなくするだけ
「見えても見えず、聞こえても聞こえず」
に思えるし

これらを
人を集めて大勢ですることは
「会堂で祈ってはならない」ということにもなる

そもそも一人でそれをやっても
根本的問題の解決にはいたらないし
言葉の循環の輪のなかのループに嵌るとも考えられます。

さらに
自分の欲望や願望を達成したいという思い
(マネーがたくさん手に入りました
とか
その道のカリスマになりました
とか願ってしまう方も、中には出てくるでしょう)

それはすでの
魔界の入口であり
魔境であり
魔的であり
とても危険なことのように思います。

それに
浄化上昇のみことばを
どこかで
アファメーションのように
意識していた部分があったとしたら
審判の希求も同様にとらえていたとしたら
(そんな意識が小宇宙の無意識領域のどこかに潜んでいたり
残っていたとしたら)

浄化と上昇の案内や説明にも書いてあるとおり
「光にとらわれない、宗教的時空にいってしまい、危険」
ということになり
正しい浄化と上昇
正しい審判の希求
とはならず
いわゆる
「なんちゃって」
になったり、方向性がずれていく危険があると思う

私も初期のころはそういった意識があったと振り返りますし
もしかしたら、今もその残りかすのようなものが小宇宙内に
残っていたとしたら、それはルール違反の部分もあるわけで
しっかり考えて分離していく
浄化して上昇していくことが大切になってくると思う。

私の実体験上
スピリチュアル好きな人は
「きらきらしたもの」が好き
「光ばかりを見る」傾向が強いように感じられる

悪魔は原初の神の光を使うことができるし
元々神々だった時の情報も持っていて
それらで巧妙に我々をだましたり試してきたりする

考えていくことが大事
区別していくことが大事

同様にサイバー空間内での戦いというものもある

様々な動画やSNS投稿の中で

自称神と名乗る霊的意識体や魔的意識体が配信者に乗って
何かを語っているものも多く見受けられる
また、ごく一般的な方が気づかむまま
ある種の意識体や波動が乗ったまま
SNSを投稿していたり、それに気づかぬ閲覧者が投稿者をいいねや
称賛するコメントを書いている事もよく見受ける
(私自身もそういった事には気を付けなければならないけれど)

そういった存在は
それらしいことを言ってくるけど
明確に動画に乗っている波動自体が違っている

視聴する多くの人たちが
区別できてないという事実に
怒りや失望というものも感じたり
配信・投稿する側にも「何で気づかないのか」とか
それをビジネス化してたり、称賛を受けたりしている部分にも
憤りを感じたりもする

人には闇(魔性)もあれば光(神性)もある
闇にとらわれず光にもとらわれすぎず

光(知・愛勇気正義)を正しく指向・思考・志向して

・自分は何のためにこの時代に生を受けたのか
・自分した契約の意味
・じぶんはなににつまづいているのだろう
など他にも色々と考えていきたいと思うし

そのプロセスの中での行動を検証し、考える

そうしていきつつも
様々なことを感じ
楽しんでいけたら
そう思う

色々なことに見て感じて考えて
今まで見えなかった事や考えられなかったことが
見えるようになったり考えられるようになって

時には戻ってしまうこと
時には軽快に進むこともあり
それも人生という物語の一部

正しい光を見失わず