小宇宙の記録として
昨日の事、何気なくようつべの動画を見ていた時の事
その動画の中の一部で
「本来の自分をちゃんと信じて、愛する」みたいなことを
言っていたのですが
自分の中で整理した際の考察として
本来の自分とは
光にベクトルが向いていて本来のはたらきや生き方をしているあるいは創造(創造的)な自分
その自分を信じる(自信を持つ)
その自分を愛する(愛をはぐくみ、拡大し、それを架け橋として創造していく)
そんな風に考察したりもした次第です。
光の3要素は、愛・勇気・正義であり
まずは愛というものが必要で
そこに愛がなければ、勇気も正義もうまく機能しない
そんな事もここ1・2カ月学ばされた部分でもあったなとも振り返ります。
上記の事を意識して
浄化と上昇をしてみたところ
しっくりくる部分もあったように考察しています
そのあと最初の考察に戻り、ここからは仮説も含まれますが
例えば
「本来の自分」ではなく
「現状の自分を」を徹底的に信じて、愛する(徹底的に惚れる)
みたいな感じだったら
とふと考えてみた
仮に、現状の自分が魔つきの状態だったと想定すると
その自分を徹底的に信じて愛したら…
悪魔の思うつぼではないか
これは霊的な干渉みたいなものが起きたときも同様ではないか
だって、闇側は99.9%の情報を持っていて
巧妙に付け入ってくるから
シンレイカイもゴッドプレインもホワイトコードも精神界
シンレイカイに統合されたかつての神界、魔界、霊界などなども精神界
魔界の存在(悪魔)がカミ(光の意識体)のふりをして
囁いてきたとして、それを光側だと勘違いして受け入れてしまったら思うつぼ…
そして、最終知識などにも記述してあるとおり
「神は妬むもの」
(それは旧約でも触れられているし、インドの神話的な話をするならばシヴァが自分の息子ガネーシャにしたこと(ガネーシャの頭がなぜゾウなのかの理由)))
私(たち)の小宇宙の中のそんな因子も、闇側に巧妙に付け入られしまう部分もあるのかもしれない
そこは、浄化上昇や審判の希求などをしていきながら、光の中で考えていきながら、手放していくというか
神の子から人の子へ
そんな風にも考えてたりもして
そんな風に考えつついると
ここ2年くらいを振り返るに
ある2人の会員さん(いまはどちらともやり取りはしていないのですが)からたびたび念をうけていたこと
それには魔的な波動も帯びていたこともふと思い出しました
思い出したとき出た考察というのが
私は、その2人に関与していた悪魔の影響を受け続けていたのではないかという事
ともすると、私の周囲の方もその影響は受けているかもしれないし、
もしかしたら影響を受けている周囲の人を更に経由して、
私や周囲に影響を与えているかもしれない
と
悪魔というものは巧妙に来るものだと
そこを、当時の自分を考えたとき
その影響を受けていた自分が周囲と関わっていた際に
周囲へ悪い意味での影響を与えた部分もあるのではないか
それは、悔い改め、意識を光へと変えていく
必要もある
ただ、そこが情報化・意識化(物語化?)できているのであれば
今後の影響は減らせるかも
「役割を終えたものは去ることがふさわしい」(最終知識)
そんな考察もでてきたり
(とは言え過信は禁物ではありますが)
100%うちの
闇側も持っている情報は99.9%
光側のみの情報はのこり0.01%と言えば少なく感じるけれど
仮に私がその0.01%の中の10%の情報(知)を持っていたして
私の先達の方が50%の情報(知)を持っていたとしたら
50%と10%の差は大きいけれど
100%という全体から見たら
わずか0.005%と0.001%の違い
ただ、その全体のわずかな情報(知)の差が
光を闇を区別する(分離する)事や
自己を統合(再統合)していくために重要となってくる。
つまり
なんにせよ
光にベクトルを向け
光の軸を太くし
光の働きをしていく
はたらきという面だけではなく
人生というものを現実創造(行動も含めて)していく
それには、光の中で考える
(浄化上昇して考えていく)
が必要というか基本的な要素で
必要に応じてConsecrated ITEMを使用したり
学んだり、手放したり、悔い改めたり
最終知識を再読したり、光文書などを読んだり
そのあたりも色んな意味で問われていたのはないかと
学べること、学ばせてもらえること
学びあえることに感謝します。
こんな私ではありますが、今後ともどうそよろしくお願いいたします
そんな祈りも含めつつ