きのう雨上がりの午後 庭の松の木の新芽とり。姉の応援があってふたりで実現した
それぞれおおきい脚立ちいさい脚立に乗った。
帰宅した夫は「さきおこされたかー」と一言。
なんだかふしぎなきもちになった。
どういうことが完成なのかわからない自分の周りで
完成というものをしてみせてくれる。
そのつまり私は雑草もゆりの花も咲くがまま。
新芽も新芽のまま。という脳を持っているので周りから応援が入るのだなーとおもえたのはしあわせだった。
なので夫の、(さきおこされたかー)という粗い表現の中に応援を感じることが出来た
すこし乱暴な表現だが
5月は生きた心地しなかった
人生いままで通過してきた苦とはあきらかに何かが違っていた。
自分に言動があってこそ状況は進むといういままでのやり方(悶々のエンドレス、)
が応用できなかったのにはほんとうになんというか自分どうなってしまったのだーと感じた
無(苦・9)以前の無(無垢・むく・69)
6の付く月の前
5月シフトは自分の言動(作為)がなければないほど応援の縁が見えてくるという
こと(シンプル・すっきり)を知った