No.56
幼少期からの疾患で、わたしの学生時代は、過酷で悲惨な思い出しかありません。
18歳で、東京都に暮らし、勤め始めた頃から、じぶんの肉体を使い働いた分だけお金を頂くのが、ありがたくて、ありがたくて、夢のような世界に変わりました!
『こんなわたしでも頼りにしてくれる人がいる』
『こんなわたしでも当てにしてくれる人がいる』
『こんなわたしでもすがってくれる人がいる』
じぶんを使ってくれて、喜んでくれる、助かる人がいることが、わたしのやる気の原動力になりました。
こんな、わたしでもさせていただけるのなら、喜んでやらせてもらいたい!
回りが嫌がることを、ありがたく、楽しんでやれたら、カッコいい!
わたしの存在が 誰かの役に立つのなら、喜んで、身を粉にして働く事ができたら最高!
人間界では、働いた分だけお金になりましたから、とても嬉しかったのです。
わたしは、スーパーマーケットに勤めていましたが、お店は忙しく、勤め先が大好きなのと、働く人が足りなかったので無償で働きに行っていました。
その当時、お給金は13万円でしたが安いとは思いませんでした。
お金よりも、遣り甲斐を感じていましたので、ただ嬉しかった記憶しかありません。
いつのときも、わたしは働くことが大好きなので、仕事に遣り甲斐が出ると、どんどんのめり込み限度を忘れてしまいますので、必ず体調不良になり、1週間ほど寝込んでいたものです。
6歳からの肺疾患ですから、やはり肉体は柔です。
しかし、見た目は判らないので、回りからは、たくさんの仕事を与えられます。
また性格上、張り切ってこなしてしまいますから、徐々に責任を持たされるポジションへと追いやられていました(笑)
責任を持たされると、また、嬉しくなり益々、仕事に精を出したものです。
いつも、どんな時も、『わたしみたいなものを使ってくれているだけ感謝だ!期待に添うだけじゃなく、その先を行かなくちゃ』と思っていました。
それは、今でも変わりません。
おだてられたり、誉められたりすると、嬉しくなり、ホイホイと何ともしてしまいます。
また、人に頼まれるとやる気が出てきて楽しくなります。
頼まれ事が難しければ、尚更、遣り甲斐があり頑張れるのです。
ただ、最近は、じぶんの生き甲斐になるものをしてこなかった気がします。
遣り甲斐と生き甲斐。
今年からは、生き甲斐になることをやりたいと思います。