この二千二十五年の九月八日未明の月食の時に、月から何らかの波動が、地球上の人類に発されたのは事実で、それによって、これまで隠されていた人間の潜在能力が開花することになるようです。
一神教の文化圏では、いろいろな意味で戦争の足音が聞こえはじめていますが、日本は敗戦後の政治体制の終焉を迎えており、改めて、日本とは何かを、日本人は問われることになります。アメリカの属州の時代を、終わらせるには、日本人自身の覚醒が必要ということです。精神界の用意は整ったので、ここから先は人間界の動きがはじまるということを、日本人に伝えるのが、今回の光文書のテーマです。
いまの日本のまつりごとが続くと、アメリカのように、国内が分裂をはじめ、その先には、未来に希望を持つことのできない国民が溢れることになります。これまでの日本が、日本人というアイデンティティを持った人間を中心にした国民国家であったのに対し、敗戦から八十年に及ぶ、教育とマスメディアによるある種の洗脳で、天皇という存在をもってしても、その統合が崩れていくことは阻止できないところに来ています。
この崩壊を、日本神界はタテコワシと呼んでいるようです。そして、現実に、この日本列島の波動の変化で、日本人は精神生活だけでなく、身体的にも、いままでにない負荷を受けています。
この波動の変化を、精神界は、ひとりひとりの小宇宙の中における、宇宙戦争のはじまり、と伝えており、光と闇の戦いが、人間の身体を舞台に進行中です。その最初の気付きとして、あるのが、自殺者たちが新たな自殺者を呼ぶ、ある種の霊的ネットワークで、それは昔の地縛霊のようなものではなく、電鉄会社や特定地域の情報が乗るサイバー空間にまで、拡大しています。
さらには、日本人には日本人固有の思いのエネルギーがあるように、世界の各民族、各地域には、それぞれの思いのエネルギーがあり、それが、日本列島における単一民族幻想を破壊しつつあります。その思いのエネルギーは、当然、死後の世界まで、及ぶものなので、シンレイカイという場に、統合されたといっても、日本人には日本の、中国人には中国の思いのエネルギーを集めた霊界があるということです。
こうした人間の霊性というものを、まったく無視した無神論のイデオロギーによって、世界をひとつの場にしようとした、グローバリストと呼ばれる人間の企みは、世界的には失敗しつつありますが、日本列島には、まだ、その推進勢力が多数残っています。目覚めの遅い日本人も、青少年の死亡原因の一位が、自殺だという、この国のあり方を真剣に問い直すべき時期に来ているということです。
その日本人が目覚めない、最大の原因が、「いまだけ、金だけ、自分だけ」の価値観に染まった、敗戦後の民主主義教育で育った昭和の世代で、それらの人間の頭にあるのは、死んだら終わり、という思いです。その彼らが、死に向いつつある現在、その死後の世界からのエネルギーの干渉を受けて、生きている身体の中で、光と闇の戦いがはじまっているというのが、いまの日本列島の姿ということです。
日本では昔から、病は気から、という言葉がありました。
いまの日本列島が出している、神の祟りの波動は、その病のもととなる気を作るものだということを精神界は伝えていて、それが、最終的には人間の小宇宙に神罰や仏罰というものをもたらすことになるのです。
これらの相互作用は、古い時代の日本人の常識とでもいえたものですが、千九百四十五年からの八十年間で、忘れ去られました。それが、いま復活して、神も仏もあるものか、といった人間の罪を改めて、問うているのだと考えてください。日本神界が指し示した道を来なかった日本国の裁きと、新しい道への導きが、これからはじまるのです。
神紀五年(二千二十五年)九月二十五日 積哲夫 記