Vol.800+24

天道

この二千二十二年の八月中に、いまある世界の仮面が剥がされて、イデオロギーやイズムの背後にあった闇のデータが表に出ることになるようです。それは、人間が最も知的な存在であるという、現行人類の幻想の根拠にあるものですが、科学というものの出発点にあるものともいえます。
いまの科学では、この宇宙は、すべて偶然というルールに支配され、人間の意識も、偶然、生まれたことになると考えるのが普通です。そして、ここに人間が、生命の進化系の頂点にいて、その意識も、同じように頂点にあるかのような幻想を生む理由があります。
宗教の時代が終わった地球で、これから起きるのは、宗教を否定する方向で、人知を覚醒させるために役立ったと考えられている、人間の思考系、つまり、無神論のイデオロギーなどが、ほんとうに、地上の人間の思索と歴史的体験だけに由来するのか、どうかの検証だと、私は考えています。
その理由は簡単で、私が知る覚醒のプロセスには、なぜ、唯物論が科学的という言葉を使い、この物質宇宙の主人を、人間に置き換えたのか、という問いに、人間が回答しなければならないという、段階があるからです。
唯物論では、神の存在はないので、人間存在は、その肉体的死によって消えます。そこで人間は、人間が外部に残した、さまざまな情報で、人間の歴史を再構成して、それぞれの人間観を生み出すことになります。これが、いまの世界で、多くの国家や人間集団がやっている歴史情報戦の基本にあります。
なんで、そんなことが実行されているかというと、それが、いまある世界の支配システムの一部だからです。
かつて、この日本列島に生きる日本人には、「オテントウサマが見ていなさる」という共通の価値観がありました。それは、その人間の宗教的信条よりも、上位の感情、または直感のようなものでした。多くの日本人は、その言葉に、アマテラスという神格を感じていたのでしょうが、オテントウサマを漢字にすると、御天道様となります。つまり、人間は、天の道によって、見られているということです。
人間が、人間以上の存在を認めない思考系の行きつく先にあるのが、唯物論で、そこから、共産主義の正統性が論理的に導かれていくように見える時空に、いまの人間は生きています。その世界観、宇宙観には、天の道のような概念はないので、人間は何をしても裁かれるということはありません。つまり、人間が、道を外れることを阻止するものは、人間のみなのです。
何がいいたいのかというと、唯物論の出現によって、人間は神になったということです。それも、妬むものである、という神の精神状態を、生きる中で再現する生き物としての存在に、です。
その精神状態を、学び、卒業するために、精神学というものが地上に降ろされました。
この精神学の由来する領域が、人間の頭の中であると考えることは、誰にもできないように、精神学とそれを伝える私の活動の歩みがつくられたのです。
それは、精神界が、人間界に、その存在証明をしたということです。そして、その精神界にある情報では、現行人類は、この宇宙における過去の滅びの記憶を再現するために、現在の唯物論宇宙という時空に存在しているのです。このまま、この物語が進行すれば、再び、滅びの時を迎えることになったのでしょうが、その前に、この時空は、「最後の審判」の世に移行しつつあります。
これから、この世は、宗教の時代の終わりに続いて、唯物論宇宙の終わりを連続的に体験することになります。なぜなら、宗教と唯物論は、一対のものだからです。それが終わった後に、人間が発見するのは、天道というものです。この天の道とは、宇宙の道といい換えてもいいものなのでしょう。人間の意識というものは、まだまだ、未発達のものなのです。すべてを知り見守る意識エネルギーの領域があると知ったものは、道を外れるという愚をおかすでしょうか。その思考訓練をするタイミングが、地球に訪れたということです。それによって、イデオロギーの時代が終わります。

神紀二年(二千二十二年)八月二十五日 積哲夫 記


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