Vol.800+11

マネーというカルマ

この二千二十二年に、聖書の神と金利の神が刺し違える形で、この世の金利を支配している勢力の背後にいたエネルギー体が、最後の審判の業火に焼かれたのですが、いまも、この地球上では、マネーと戦争という過去の人類のカルマの噴出が止まりません。
これとは別な話として、日本列島の古き古き神が、何者かに光の槍を奪われ、黒い龍と赤い龍に巻き付かれていた、暗黒の宇宙の裏側から救出されたという情報も、私のもとに寄せられています。
現行人類が、存在している時空は、この暗黒の宇宙のようで、現行科学が知れるのも、この暗黒宇宙の情報に過ぎないということのようなのです。
ここまでの私の知の歩みではっきりしたのは、カバラという知の体系は、聖書の知に由来するものではなく、もしかすると、この宇宙の開闢の前の意識エネルギー体に由来するという可能性です。
つまり、現行の宇宙は、開闢の時から、神々の時代、聖書の時代、唯物論の時代という、ある種の進化、または成長のプログラムを経て、「最後の審判」の時に到るというものがプログラムされている宇宙かもしれないということです。
これが、私がこの宇宙を物語宇宙と呼んでいる理由のひとつで、さらには、何でもあり宇宙という、象徴的な意味でいうなら、造物主が思いついてつくり出したものは、実体化してしまうという特性をも持つ宇宙ということになります。
さらに続けるなら、この物語宇宙の時空には、その他の宇宙の時空の住人たちも、共有しているらしいエネルギー領域もあり、たぶん、それが原因で、この宇宙の統一理論は発見されないのです。
物語宇宙というものは、人間の頭の中にある仮想宇宙と似たようなものといういい方もできるのでしょう。
そして、人間の頭の中にも、正しい宇宙の情報が投影されない最大の理由が、現行人類のカルマというものを投影した物質宇宙が現行科学が認識している宇宙というものだからです。
この領域から脱出する知の手段として、精神学は存在しているのです。
仏教的知識で、人間にはカルマがあるといっても、そのカルマの解消法は発見されていませんし、全人類のカルマの向こうには、この宇宙のカルマというものが横たわることになります。
金利の神が去った、この地球上で、マネーが更に集中し、最悪で最大の消費である戦争の文化の正体が見えはじめています。
それは、悪魔的意識体といっても、悪魔崇拝の人間グループといっても、自分たちは神の子孫だとする人間グループだといってもいいのですが、支配し、君臨したい何者かが乗った人間です。
精神界の面白いところは、人間は、精神界の存在の乗り物なので、悪魔も人間の姿をしているという視点があることです。彼らのエネルギー源は、人間のたましいの光や、恐怖心とされてきましたが、それらは、すべてマネーで買うことができるのです。
このマネーのパワーの根拠は、人間の欲望のエネルギーにほかなりません。
人間の欲望を無限に再生産していくシステムを持つ宇宙が、この暗黒の宇宙です。
この暗黒の宇宙で、この問題に直面し、理解しようとすると、あるエネルギー領域に取り込まれることになるのです。それは、高次なレベルでも、日々の生活のレベルでマネーが欲しいと思うレベルでも同じです。その闇のエネルギーに地球は覆われているのです。それは、現行人類のカルマだし、地球のカルマだし、宇宙のカルマでもあるのです。
マネーの持つ暗黒のエネルギーを処理する浄化力を持つことなしに、この暗黒の宇宙に出口は現れないのです。
その先にしか、光の宇宙はありません。精神学は、その道を指し示してはいますが、その道を歩むのは、ひとりひとりの人間なのです。地球が、この闇の世界に留まる時代は、長くないのです。「最後の審判」の知が、そこにはすでに用意されたからです。

神紀二年(二千二十二年)五月二十六日 積哲夫 記