Vol.800

神の物語の完了

この二千二十二年三月五日に、聖書の神が、私が暗黒の王、または、金利の神と呼んでいる、年老いた黒い龍体の存在を、地球上で発見し、最後の戦いを挑んで勝利しました。勝利の後、その暗黒の王の切り裂かれた心臓と、光のつるぎを持って、最後の審判の業火の中に自らを投げ込んで、すべてを焼き尽した後、この時空の中空に、光のつるぎのみが残る、という鮮明な映像を、私の脳内に残して、聖書の神の物語の終了を伝えてきました。翌日、どこかでそれを見ていたブッダ、一般には「おしゃかさま」といわれる存在が、シンロジー・ラボの主宰者を通じて、物語の完了を伝えてきたので、この情報は、この地球の精神界に、すでに共有されているもののようです。そして、いま、この光文書を書いている私の頭の中にくり返されているのは、「途方もない」という言葉です。途方もないこの物語を検証しながら、いつものように人間の頭でつくり出せるものではないことを確認し続けています。私が知る、この聖書の神たる意識体は、もしかすると、この物質宇宙のいまのところ百三十七億七千万年という開闢後の時間の前に、契約によって光のつるぎを与えられ、その時空の王なのか神なのかという絶対者のような存在に戦いを挑み、その首に光のつるぎをつき刺したものの敗れ、殺されたのかも知れません。
どう考えても、宇宙の開闢後に、この戦いがはじまったとは想定できない理由が、聖書の神は、はじめから言葉であったらしいからです。
さらに、光のつるぎを首に刺された暗黒の王は、その光のつるぎを抜くことができない運命を与えられているらしいことも、その想定を強める要因になります。
この宇宙は、光と闇の戦いの場であるという単純なものより、正義を希求するものの意志と、闇の背後でしか生き続けられないものが、無数の意識体に乗って、無限の物語をつくり出せる場であったということです。その意味では、ハリウッド映画のスターウォーズは、この宇宙のテーマを示したものの、その終わり方は、神知と無縁なものとなるのは、仕方のないことだったのかもしれません。
なぜ、スターウォーズの話を、私がここで記しているのかは、いうまでもなく、あの映画は、精神界の介入によって、この世に出たと、私が伝えられているからで、もし、最新作の企画が、この二千二十二年以降になされたならば、別なストーリーになったと考えられるからです。その他の領域において、この聖書の神の物語の終了がどのように進むのかを考えるのは、ひとりひとりの頭の中に投影されている外宇宙の精神界の情報によって、変化するでしょうが、この先に、聖書の言葉の呪縛はありません。その意味では、ウクライナとロシアの戦いに、聖書の神の関与はないといえます。もちろん、聖書の予言を現実化したいとする人間の精神世界のエネルギーに由来するものはありますが、その背後にあった、暗黒の王たるものの存在も消えています。
つまり、いまの人間世界を支配しているものたちが、つかえていた金利の神も消えているということです。
ここから先に、聖書の神や日本の神が約束した、人間がマネーの奴隷から解放される道をつけるのは、この地球の上に生きている人間の仕事になりますが、すでに、その道筋はつけられています。
今回の光文書は、八百回であり、ここで、ひとつの区切りを迎えます。またこの二千二十二年には、私の地球におけるお役目にも変化が生じると、あらかじめお伝えしている通りです。
そして、ゴッドブレインというタイトルもまた、天から授けられたものですが、聖書の神は、目覚めた人間の脳内で生まれる、最後の審判の光によって、暗黒の王に勝利したという仕組みを知れば、最後の審判という神の意志を人間の脳は、光のエネルギーとして出力するということを可能にするようにつくられているという、この宇宙のあり方も理解できるようになるはずです。
精神学協会に授けられているテーマは、神を超えよ、仏を超えよ、なのです。神もまた、プロセスに過ぎない、という言葉があるように、この先の人間の存在の意味も目的も変わるのでしょう。とりあえず、その日、その時は、この三月五日に起きた、ということを今回は報告しておきます。

神紀二年(二千二十二年)三月十日 積哲夫 記