Vol.758

シンロジカル・サイエンス

精神学は、科学より科学的だとはじめからいい続けています。それだけではなく、精神学的にいうと、いまの科学は、歴史的にいうと、魔術の子なのだともいい続けてきました。
いま、この二千二十一年に到って、精神学を学んだ若い世代によって、精神的エネルギーに対して、光が当てられようとしています。くり返しになりますが、いまの科学は、一神教の神を証明するという出発点を持っていましたが、科学が知り得たのは、この宇宙は、無から生まれたらしい、というところまでです。
この宇宙は無であるという知は、約二千五百年前に、ブッダと呼ばれる人間が、すでに到達していました。
私たちが生きている時空は、普通の人間が科学的という認識の対象として見た場合でも、このブッダの知を証明したことになります。
もうひとつ、この宇宙を観察する人間という存在を考慮に入れて、科学は人間原理という言葉も生み出しました。その意味を反対にすると、この宇宙は人間存在を生じさせるために、無数の可能性の中から、何らかの意志によってつくられたということになります。
人間の意識は、この宇宙の意志によってつくられるべくして、つくられたという立場です。
精神学というものは、この地球の神の問題を解決するために、「はじまりの前にあり」「終わりのあとにもある」ものが人知に授けたひとつの学びの体系なのですが、その立場から見ると、いまある科学の役割は、無神論によって、人知が到る限界を示すものなのです。そして、その役割は、ほとんど終わりに近づいて、いまある科学をこのまま進めても、新しい滅びを招来するだけというところにまで来ているといってもいいのでしょう。
これは、前回の光文書で公開した、イエスとマネーの仕組みの、もうひとつの暗黒面につながる話なのです。
魔術から生まれた科学は、神を証明できませんでしたが、私にいわせれば、精神学の立場では、すでに神たる存在の証明は終わっています。神というか、この地球の本来の所有者は、聖書の神の問題を解決するために、その物語の舞台として、しばらくの間、この世界の利用を許しただけで、その神の約束が成就した後には、新しいタイプのたましいの物語がここで始まることになっています。そして、最後の審判から、新しい地球世界を生み出すために働くことを求められているのは、いま生きている人間なのです。ところが、現行の科学的な知で、その働きはできません。
なぜなら、科学の波動的なデータは、無神論の悪魔と私が呼んでいる存在が管轄する領域にあったらからです。
この二千二十一年の時点で、マネーの波動領域と同時に、この科学、サイエンスの波動領域にも、正しい光が射しはじめたとお知らせすることができます。
これによって、何が変わるのか。いまある文明の崩壊がスタートするというのが私の答えです。
すくなくとも、私には、無神論の科学は、六度目の滅びを人間界にもたらすものとして、認識されていたのですが、その領域に正しい光が届くことで、神知を導入した科学という領域の扉が開くことになります。
すでに、その方向での動きは急速に進展しつつありますが、そこでも、最大の妨害因子は、人間由来の悪魔的意識体です。これは仮説ですが、いまある科学的教育システムの中に、人間に無神論の悪魔因子を植え込む何かが隠されているのかもしれません。
神という概念に対する、この強烈な否定というものが、近現代文明の背後にある人間の集合的無意識の領域にあり、そこから解放されない限り、人間は、新しい知には到れない、ということなのでしょう。
どちらにしても、無神論の科学者の時代は終わったということです。
新しい知のブレークスルーは、シンロジカル・サイエンスからはじまります。

二千二十一年(神紀元年)五月二十日 積哲夫 記