Vol.700

さすら姫と鬼の復活

この二千二十年四月は、日本列島全体で大変なことが進行中で、私の認識では、古事記や日本書紀の成立より、はるか前の西暦でいうと二世紀頃の、これまで地の底に置かれていたデータが、人間世界というか、地上に出ることになりました。これによって、人間の歴史は、二千二十年前と二千二十年後という、区分が、将来の世界では、なされるようになるはずだと、ここでは、お伝えしておきます。
いま進行中のことを、人間世界の意識下という問題で見ると、かつては、二千二十年問題を予見したかのようなAKIRAという作品があったように、現在の時代意識を象徴する作品として、子供たちに圧倒的に支持されている作品としての鬼滅の刃という作品があり、いまの日本列島の青少年は無意識領域において、二千二十年の精神界の時空につながっていると理解できるようになります。
具体的に何が起きているかというと、これまで、日本列島の下、狭い範囲でいうと、関西から中国・四国という地域の根の底、または、地の底にあった黄泉のクニから、封印されていた鬼の勢力がこの世に解放されたということです。どうやら、それは、神功皇后の三韓征伐が、住吉三神の、海の向こうの金銀、財宝を得よ、という託宣によって実行された歴史と、主人公は桃太郎に変わり、三匹の犬と猿と雉を連れての鬼ケ島の征伐という物語のなかにある、隠された秘密と連動しているものらしく、その証言者としての仲哀天皇の復活によってのみ、解決されるという仕組みだったのです。
ここまで読んで、その仕組みが何なのかを、普通の人間が理解することはできないはずですが、やがて、その全体像ははっきりするはずです。
私は、日本列島に置かれた最後の一厘の仕組みは、当然のこととして、古事記や日本書紀以前の歴史的時空に到るはず…という認識を持っていたのですが、その扉はこのようにして開かれるのか、と理解ができたのでした。その理解したことが、これから多くの人間に伝わるようになるはずですが、それは私の死後のことかもしれません。ただ、視点を変えると、これらのことは、出口王仁三郎に、神から、鬼三郎という文字が降りてきた事象によって、予告されていて、昭和の時代に先達としてはたらいたものとして、私がお伝えしたことがある、金井南龍という人物が、この世の変わり目にはたらく最重要な神格が、オオハラエのノリトの最後に出てくる、はやさすら姫だと感得していたことによっても予見はされていました。
王仁三郎は鬼は敵ではないので、節分の豆まきには、福はうちに続いて、鬼もうちというかけ声をすすめていたようです。そして、その日本の鬼が復活し、日本を取り戻すためのはたらきをはじめる司令塔の役割をはたすのが、さすら姫なのです。
ここで、話は突然、菅原道真の神格化についてに変わります。藤原氏の陰謀によって、大宰府に流され、悲憤のうちに死んだ菅原道真は、鬼になって、京都に戻り、疫病を流行らせ、天変地異を起こし、というように、多くの敵を殺し、京都を恐怖の底に落としました。そこから逃れるため、京都の朝廷は、何をしたかというと、菅原道真を神としておまつりしたのです。
そこに、日本列島の精神界における、鬼と神との関係性が見えています。そして、今回のことで、私が知らされたのは、鬼のはたらきを、神のはたらきに変えることができるのは、この世の罪やケガレをはらう、神格のなかでも、さすら姫という女神だけだということになります。
いまの世界は、武漢ウイルスという疫病に苦しみ、経済も大恐慌のリスクをどんどん高めて、さらには地球規模の食糧危機までが、予告されるという、末世の様相を示しています。そして、すでにお伝えしたように、中国の黄巾の乱という二世紀頃の大陸のデータが、いまの中華圏に生きている人間に流入しています。これと同じように、二世紀頃の日本列島で進行した、三韓征伐前後のデータが、いま生きている日本人の無意識領域のなかにも流入しはじめていると考えてみてください。
天下は大乱へと導かれることになります。
武漢ウイルスのパンデミックは、いまの西洋文明による世界秩序を破壊し、いまの経済システムの矛盾を拡大化することは間違いありません。その先の時代に、日本を導くために、さすら姫と鬼の復活があると考えてみてください。日本の鬼は、すでに、西洋の悪魔を学び終えているのですから…。

二千二十年四月九日 積哲夫 記

 


生きている間に、私の知っていること、考えていることを、言葉のデータとして開放したほうがいいと信じられる事象が起きたので、ツイッターをはじめました。
興味のある方はご覧ください。

https://twitter.com/godbrain_com
https://twitter.com/ShinlogyCom
https://twitter.com/VagrieO