Vol.679

皇紀の意味

西暦二千十九年の今年は、皇紀二千六百七十九年です。その二六七九の十一月、つまり、一一月に、あることが、私に、あきらかにされました。それは、日本国のスタートは、どうしても、ブッダの誕生前であり、モーゼの出エジプト後である必要があったということです。
私は、「最終知識」において、ブッダという人間がこの世に出て、人知が神知を担うことが可能だと判断されて、イエスの十字架という苛酷なテーマが人間界に下されたという経緯を記述しましたが、ブッダが生を受けた紀元前五世紀という時間軸は、中国大陸における、孔子や老子の登場やギリシャ文明におけるアテネの民主制など、今日に続く人知の多くがそこにルーツを持っています。
そこから、さらに約百六十年を遡って、紀元前六百六十年に、神武天皇による建国があったという神話が、このクニに用意された背景には、ブッダの時代までに、ユダヤの失われた十支族の物語も、バビロン捕囚も起きており、エルサレムに第二神殿が再建されたのが紀元前五百五十年という事象があったからなのです。
失われた十支族のはじまりは、紀元前七百二十一年に北イスラエル王国がアッシリアに滅ばされたときです。それから、約六十年後に、神武の東征が起きた事になります。つまり、皇紀は、旧約聖書の時代も視野に入れた時代設定になっているのです。
今回、私が知ったことのテーマには、実は日本に伝えられた仏教には旧約聖書のデータを継承したものもあり、それは、よく知られているように、高野山の空海のところにだけではなく、比叡山の最澄のところにも伝えられていたということです。それではっきりしたのは、平安京は、その名の通り、極東のエルサレム、つまり、平安の都として、何かを知るものたちが企画し、何かを知るものたちが、何かを守るために、仏教や神道、その他のものも含めた、当時の知を総動員して、ある種の結界を結んだというつくられ方をしたということです。
そこには、旧約聖書のデータのなかから、仏教が受け継いだものや、中国の陰陽道など、遠い過去につながる多くの情報が含まれていて、それらが徐々に日本人の好奇心によって、人知の側に移行しつつあったわけです。
そうした流れを、一気に加速したのが、精神学協会の会員の方々による、日吉大社の奥宮での扉開きであったというのが、現時点での私の認識です。これによって、皇室と比叡山の関係性に、ユダヤ・イスラエルとの深いつながりがあることを認めざるを得なくなります。
一般に、失われたアークは、四国の剣山にあるとされてきましたが、もしかすると、平安京の結界のなかにあるのかもしれない、ということも考えられるということです。
私は、失われたアークが、物質として、この世に保存されているとは考えてはいませんが、あるタイミングで、情報としての姿、あるいは、精神界のエネルギーとしての放出によって、開示される可能性はあるとみています。
そうした情報に、人知がアクセスするために、皇紀という時間のスケールが、この日本列島に用意されたことも、日本の仕組みの一部なのでしょう。
これは、現行人類のたましいのルーツたる、ある神格の目的達成のためのプログラムであり、これまでの地球史で知られている、縄文文明以降の、すべての文明と宗教的な変遷は、ある方向性を持っていたという認識に到るのかもしれません。
日本列島が、この覚醒に到るために、ソ連邦崩壊後の世界で、バブルの崩壊によって、経済成長を止めるように、見えざる神の手がはたらいたのではないか、というのが、いまの私の認識です。そして、この令和という時代に、新しい天皇のもとで、日本が再び、世界に対して役割を担う、という自覚なしに、次の経済成長もないというのが、天が日本人に伝えたいことなのです。共産主義の中国は、世界を共産化するという目的のために、政治、経済、軍事のすべてを急拡大させましたが、そのバブルがこれから崩壊し、その影響で、ヨーロッパもアメリカも、共にマネーの時代の終焉に突入していきます。その時こそ、成長しなかったことで守られた日本が、世界に復帰する道が見えてくるというのが、私の知る神の仕組みです。

二千十九年十一月十四日 積哲夫 記

 


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