Vol.674

対馬にまいれ

この二千十九年の十月の六日と七日。私は、韓半島との関係で世俗の世界では、問題が深刻化している対馬の結界の確認のために島内の神社やお山を巡ってきました。そこで、わかったのは、対馬にとって、最大の危機だったのは、前回、私が訪れた時であったらしい、ということでした。
現在の日韓関係の急速な冷え込みというものには、少なからず、精神界の関与もあるといっていいのでしょう。そして、私が対馬の神々に託されたのは、「日本人なら、対馬にまいれ」という言葉でした。
日本列島のなかで、壱岐と対馬は、きわめて特別な地位を占めています。それは、古くからの神社が、これほど密集しているエリアは、九州、中国、近畿のどの地域とくらべても、他にはないと断言できることでもわかります。そこでは、延喜式に出てくるような古き神社の神々も、いま活性度を高めているばかりではなく、元寇の時に、わずか八十騎をもって元の大軍を迎えうった対馬の宗氏の祖とされる宗助国のみたまも、神格を与えられて、はたらきに参加していることが確認できました。
私がくり返しお伝えしていることですが、いまの日本列島が、実は建国以来の最大の危機にあることは、精神界の共通認識です。
アメリカに敗れたことで、アメリカ流の日本の伝統文化の破壊にさらされた国体を、半島と大陸の国家群が、日本国内のそれに呼応する勢力と共闘するかたちで、崩壊させようとしています。
すでに、隣国の選挙によって選ばれた大統領が、無神論者の共産主義的イデオロギーの信奉者であることは、疑いの余地もなくなっており、彼らの目的が、日本列島を日本人の民族国家として存続させないことであることも明白になりつつあります。
歴史を見れば、あきらかになるように、ソ連邦をつくった勢力が、アメリカの大統領府に浸透し、当時の大日本帝国を戦争の道に引きずり出し、このアメリカに浸透した共産主義のスパイたちが、トルーマン政権の時代に、中国共産党による大陸支配を完成させたのでした。この時代、まだ、自衛隊を持たない日本に対して、隣国は、竹島を占領し、漁民たちを多数拿捕するという事実上の侵略行為をしていたのです。
その隣国の野望は、その時代から、対馬に向いていました。
大陸と日本列島の関係において、対馬はそれほど重要な位置にあることを一般の日本人も知るべき時がきているのでしょう。
「対馬にまいれ」という対馬の神々の言葉の背後には、本州や九州などよりも、はるかに濃密な神霊の気が、対馬の地にはあるということもあります。
そこに行くだけでも、本来あるべき日本人の精神性が開花する、または、古来、日本列島が持っていた神気というものを、いまも持っている場だということです。
それは、隣国からの観光客が大量に押し寄せても、失われることがありませんでした。すくなくとも、対馬の神霊とでもいうべき存在は、自分たちが最前線にいることは知っているのです。
最前線という意味では、前回、対馬を訪れた際に、あれほど島内をパトロールしているように思えた、自衛隊のやまねこ部隊の姿を、今回は一度も目にすることがありませんでした。
防衛上の戦略が変わったのかも知れませんが、その面からも、当面の危機的状況は去っているような感じがしたと報告しておきます。
対馬の宗氏の祖である、宗助国ですが、さむらいとして、死に、そのはたらきによって、人の世でも認められ、精神界からも認められ、いまも、はたらいているといっていいのです。精神界におけるその存在感のデータが、いまの人の世にも伝わり、マンガやアニメの主人公になったりするのが、日本語脳のデータ系の面白さです。宗助国の命日は、十月五日であったようです。この対馬の元寇における戦いを描いたマンガ、アニメがあり、そのタイトルは、アンゴルモアというもののようです。それをこの光文書の読者が見たら、きっと「対馬にまいれ」という言葉を思い出すことになるのでしょう。

二千十九年十月十日 積哲夫 記

この光文書に合わせて通信が届いているようですので、掲出しておきます。


2019年10月8日(火)16:38~

神々のものは 神々に
還される
その約束を
知るものを
この地に 於いて
めざめさせる

それが
うけひ(誓い)である かぎりに
おいて
 


 

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