Vol.659

死霊の世界

この二千十九年の六月二十三日、この日本列島の死霊の世界のルール、または、あり方に大きな変動があったと、私は感じています。沖縄戦から七十四年を迎えたこのタイミングで、いまの沖縄で非日本人の活動が目立つということも含め、昔からの日本人の霊界と、半島出身者であり帰化したものと、いまも在日という、ポジションにいるものの霊界と、現在の半島国家の住民の霊界とが、はっきりと普通の人間にもわかる形でこの日本列島上で生きている人間の認識にあがるようになったといえば、いいのでしょうか。
かつて、日本のマスコミで霊能者として一世を風靡させた宜保愛子という人物がいました。彼女は、テレビの取材で朝鮮半島の地を踏むことを拒否して、話題となり、結果として、メディアも離れるという人生を送った人物ですが、いまも日本霊界に留まっています。その彼女が感知していた、朝鮮半島の死霊の世界の情報が、表に出る前に、戦前の併合から続いてきた半島出身者の日本列島上での死によって形成された、在日や帰化人の霊界のデータが、人知の側に移行しつつあるというのが、私の知るところです。
これは、実は途方もないことなのです。
私が知らされていた最後の一厘のプログラムとは、とりあえず、日本というこの国の精神界で進行し、世界の精神界の変動は、その次ということになっていました。それが、とりあえずは、この日本列島上に暮らす半島出身者の死後の世界に限るとはいうものの、そのデータが、生きている人間の世界に重なる状態であらわれはじめるというのは、地球全体が次の段階に移行しつつあるということになるのです。
この先、私が生きている間には起こらないと考えてきた、たとえば、ソ連のスターリン時代の政治的死者二千万人の霊界や、毛沢東時代の死者数千万人の霊界のデータが、現行の人類の精神的エネルギーの場に投影される可能性があるのかもしれません。
いまの世界は、人類史上における空前の大量殺戮の時代の結果として生まれた、一部の支配層と大多数の被支配層という秩序のもとに存在しています。この秩序が、完全に機能しない場が、この日本列島なのであり、なぜ、そうなっているかの根拠が、日本列島の歴史をつくってきた精神界の存在なのです。
日本列島以外に、この精神界のバリヤーはすでになく、日本人の多くが、世界のルールのもとに従うと思えば、天皇に象徴される日本的なるものも消滅します。
それが闇の勝利なのですが、どうやら、それを阻止するものとして、精神界は、歴史的に形成された死霊の世界、仏教的にいうなら人類のカルマが集積された闇のエネルギー領域のデータを、人知の領域に移すことを実行しようとしているのではないかと、私にはみえるのです。
もし、それが実行されると何が起きるのでしょうか。
ひとつ、わかることは、無神論者たちのたましいが、その死後、どうなっているかを普通の人間が感知できるようになるということです。
死んだら終わり文明は、それによって死に到ります。
その先にはっきりしてくるのは、この人類の歴史をつくった人間グループの罪が、歴史の闇のなかから浮き上がってくる時代が到来するということです。
敗戦後の日本列島は、さまざまな政治勢力の影響下で事実上、分断され、政治、経済、教育、その他のほとんどの指導的立場は、無神論者であるか、そのように発言するものたちに占められてしまいました。ところが、戦勝国のアメリカでも、同じような事態が進行し、マスメディアはその宣伝機関に過ぎないという正体をあらわすタイミングが来ているのです。
一般にグローバリストと呼ばれる人間グループの根拠は、西欧近代の革命思想にルーツを持っていますが、もともとのその出発点は、キリスト教会の支配権の打倒でした。なぜ、打倒すべきだと彼らが考えたのかを、教会の腐敗などに置く、あたかも自分たちに正義があるかのような主張は、その後の歴史をみれば、嘘だということがわかりますが、これは文明史的にいうと、キリストとアンチ・キリストの二千年戦争にほかならないのです。その二千年戦争のために、地球神界の総意で日本の仕組みが用意されたというのが、私がお伝えしていることなのですが、それがいまある世界の人間界に対しても発動しつつあるというのが、いま、なのです。
この二千十九年の大阪に世界の指導者が集まるタイミングで、それが用意されたということが、やがて、歴史的に意味あるものとして記憶されることになるはずです。

二千十九年六月二十七日 積哲夫 記