Vol.653

世界が日本に

この二千十九年の五月から、新しい令和という年号になった日本に、世界の精神的エネルギーの現状が、反映された、または、投影されたという伝達が、私のもとに届いています。それが何を意味するかというと、この日本列島が、いまの世界を支配し、それを完成させようとする精神的エネルギーを代表する闇の信奉者のグループと、それを阻止しようとする光の側にたつグループの主戦場になるということのようです。
エネルギー的にいうと、私の認識では、ほんとうに最後の一厘というか、ほとんどが闇の勢力ですが、この世界に希望がないのかというと、そうでもない、というのが私の印象です。
いま、世界というイメージのなかに、日本というクニの存在は、ほとんど忘れ去られつつあります。平成の世の経済的後退により、政治や軍事のポリティカルゲームの主役のようには見えていませんが、実は、これからの日本ほど、世界史のなかで重要な役割を担う可能性が高いポジションにいた過去はないのです。それを、私は第一次大戦後の世界で、日本が国際的に得た地位よりも、はるかに高いものだと認識しています。その理由は簡単で、戦前の世界の秩序の代表者は七つの海を支配した大英帝国でした。その大英帝国の落日をもたらした存在こそ、大東亜戦争を戦った日本でした。
アメリカ合衆国は、スターリンのソ連と組んで、対日戦に勝利しましたが、その結果生まれた共産党の中国と分断された朝鮮半島という、戦勝の結果の負の遺産に、戦後七十四年目のことし、向き合うことを余儀なくされています。このトランプ大統領が直面している半島と大陸の問題は、明治維新後の日本が、苦しみ、結果として敗戦という道に到る原因となったものです。
ここで、当時の世界の植民地主義というか、領土の拡大に熱心であった風潮がどこから来たのかを冷静に考えてみてください。欧米の先進国と、いまいわれる国々の前に、スペインとポルトガルというカトリックの王国が、世界を分割支配することを可能にしたのは何だったのかということです。それは、簡単にいうとキリスト教の選民意識であり、それと同時に、東インド会社に代表される利益を求める行動をすべてよしとする価値観の文明圏における共有でした。その時代のスペイン、ポルトガルの世界分割に対抗したのも、この極東の日本という国でした。その後、日本は国を閉ざし、独自の文明を開化させるのですが、この間に育てた日本文化が、その後、ヨーロッパでジャポニズムというムーブメントを起こします。
いまの日本は、その江戸期に育てたのと同様なオリジナルな文化で、世界を魅了しつつあり、その代表ともいえるのが、アニメやマンガという映像文化です。
それを、現代の浮世絵ということもできますが、浮世絵と違うのは、それらは、物語性を持つコンテンツだということです。それらがどこから生まれたのかというと、敗戦後の日本人の意識活動からであり、その代表的作者の多くは、共産主義を学んだ人間グループに属していました。それは、共産主義や社会主義といったところを出発点にして、今日のリベラリズムといわれるものまでつながる、人間性の優位を信じた、ある種の無神論という、決定的な矛盾をかかえる思索の産物でした。
いまの世界の人間は、この矛盾した意識活動のなかで、ほとんど人生の目標を失っています。それでも、心優しき人間への希望を、日本のアニメやマンガが、通奏低音として奏でているのは、その出発点に日本語脳があるからなのです。
このタイミングで、その日本語脳に、たとえば、半島の人間や大陸の人間の反日教育の結果としての日本人攻撃の意識エネルギーが、侵入していることを認識するようになったというのが、いまの私の認識で、その結果、ひとりひとりの日本人の身体のなかで、新たな戦いがはじまることになります。
日本列島が主戦場になるということの意味は、ひとりひとりの日本人の意識と身体の内部で、光と闇の最終戦争が起きるということでもあります。
私にとって、これまでのすべての活動は、この時期を迎えるためにあったといってもいいのでしょう。
この先にあるのは、精神を病む人間もさらに増加し、身体を病む人間も増えていくという日本社会にとっては最悪のストーリーです。しかし、それでも世界の他の地域の人間よりも、まだ人間的でいられるのが日本だったという時代が来つつあります。
このままだと、世界が突入するのは、ひと握りの支配者と、大多数の持たざる者の社会で、それはそれで、キリスト教文明の最悪のシナリオである共産主義の勝利へ導く道なのかもしれません。しかし、日本語脳から提案される社会は、ひとりひとりが人間として生き、人生の目的を達成できるという未来の姿なのです。
そのシンボルとしての天皇がいるというところに、西欧の民主主義の次の社会モデルとしての日本が用意されたという知に到る人間が増えれば、このクニは、世界に希望の光を投げかけることができるでしょう。

二千十九年五月十六日 積哲夫 記