Vol.627

移民法の先

このまま行くと、アシハラナカツクニは、世界標準のウシハク世界に転落し、日本人は、なんのためにこのクニに日の本という名があるのかを忘れ去ることになる流れが加速しています。残念ながら、これが最後の一厘の仕組みの大峠で、この先に用意されたどんでん返しによって、いま生きている日本人のたましいは、ほとんどが生き残ることなく、左側に分けられ、永遠に去ることになります。
いまの内閣総理大臣は、長州の出です。それが、この新しい開国への道を開いているということは、幕末から明治の長州の人脈の政治的主張と、実際の行動の間にあったものと同じなのです。つまり、口では尊皇攘夷を叫びながら、現実には開国をおしすすめるという明治の政府のくり返しをしています。
日本が明治の行動をくり返しているとすれば、黒船によって日本を開国させたアメリカは、その当初の目的通りに、日本列島を事実上支配下に置いて、明治の日本と同じ、地政学的地位に置かれました。
これから、アメリカは、日本が日清戦争に到るのと同じ道を、大陸と朝鮮半島との間で進むことになります。
かつて、キッシンジャーというポーランド生まれのユダヤ系アメリカ人の大統領補佐官が、米中接近という歴史的な場面で、アメリカは日本を復活させないために、中国と組み続けると約束したドクトリンは、ここへ来て、崩壊しました。
日本国内の親中派は、大きく中国共産党に協力してきましたが、アメリカの対中姿勢の変化を見ても、彼らのほとんどに危機感はありません。
そうした日本国内の人間グループが、実は、きわめて日本人的な弱さによって、相手に取り込まれてきたというのが、戦後の歴史なのです。
中国共産党の歴史を考えてみれば、これらの日本戦略も対米戦略も、一貫した闘争、または、戦争の継続というものの延長上にあることはあきらかなのですが、多くの戦後日本人は、そのことに気付いていません。
アメリカは、開国後の日本人の移民を怖れ、排日法まで成立させ、戦時には財産を奪い収容所にまで入れましたが、それによって、日本に勝利したことで、国内に別なムーブメントが生まれ、黒人の公民権など、人種差別をしない国への舵を切ります。ところが、それは日本の戦前の主張にほかならなかったのです。
それによって、最大の利益を得ているのが、朝鮮半島と中国大陸にルーツを持つ移民ということが、これから、アメリカ国内において、重大な問題となっていくはずです。
ここから先は、私の予告または、預言のようなものなのですが、アメリカが明治の日本の国際的苦悩を追体験することによって、はじめて、アメリカ人が日本文明というものを理解しはじめます。
軍事面において、アメリカは朝鮮戦争を戦ったことによって、半島と大陸において、戦前の日本が背負った大きなテーマの一部を理解したとされています。その経験もあり、いまの日米同盟の軍事面では、すべての情報が米軍に握られているとはいえ、米軍と自衛隊の間には、圧倒的な信頼感が醸成されているといわれています。
ここで、大日本帝国を戦争への道に追い込んだ、大統領であったルーズベルトが、なぜあれほど親中的であったのか、あるいは、その政権内で共産主義者たちのグループが、なぜあれほど影響力を持っていたのかを、人知の側で研究してみてください。すると、その背後には巨大な陰謀のようなものが見えてきます。
大日本帝国に勝利したアメリカは、まだワスプ、つまりホワイト、アングロサクソン、そしてプロテスタントの国でした。ところがいまのアメリカの支配階級は、当時はマイノリティーであったユダヤ系になっています。
何があったのかを、日本の精神界は理解していたからこそ、西南戦争で死んだ薩軍の村田新八親子に代表されるグループが復活後に、アメリカのアーリントン墓地を目指したのです。アーリントン墓地は、もともと南軍のリー将軍の屋敷があった土地を北軍政府が軍人の墓地にしたといういわくつきの場所なのです。南軍に属した州と、いまの日本は、よく似た精神状況下にありますが、それも、この近現代における世界的な戦いの意味と目的を知れば、よく理解できるようになります。
人間の過去の歴史を神と神々が理解して、審判のタイミングが訪れるというのが私の知る精神界のルールです。その意味では、日本がアメリカ化し、アメリカが日本化するプロセスの先に、何があるのかを考えるタイミングが来ています。

二千十八年十一月十五日 積哲夫 記


【いままで隠されていた文書の再公開/霊性時代Vol.21】 

ことばの光が・・・

2006年3月7日に、地球の精神界に大きな変動が生じました。<みおや>さまの歌とメッセージが届いていますが、一般の方に公開する内容ではないので、<秘密ファイル>に入れておきます。
目覚めなさいという、イエスの時からのメッセージを、くり返すだけでは、人間は決して目覚めないものだということを知りながら、それでも伝え続けてきた神や神々の子孫が、いまの人間だという神話が、終ったということでしょうか。
わかりやすくいうと、地球はこれまで聖書を含めた神と人間の神話的物語の場でした。しかし、この時代、<みおや>さまのことだまが、すべての人間の「たましい」に届いたとしても、その情報が、生活している人間の意識上にあがるのは、ごくごく稀なことなのです。この情報伝達のシステムが、もはや機能しないなかで、神と神々が、人間とともにある神人一体の時代、神知と人知が融合した新しい時代の到来を用意するのが、いま数少ない目覚めた人間の義務になっています。
闇に追いつかれ、闇に飲みこまれてしまった多くの「たましい」に、<みおや>さまのことばの光はどう届いたのでしょうか。届いてはいるはずなのですが…。
人間の「たましい」の審判は、精神界においては、もう終ったといってよいでしょう。あとはうつし世である、この現実世界で生きている人間の人生のなかに、答えがでてくるはずです。こころのなかをのぞき込む勇気があれば、その小宇宙で何が起きているかを見ることができますよと、<みおや>さまはくり返し伝えましたが、ひとりひとりの人間が生きている世界というのは、ほんとうはその身の内側、こころに投影された、バーチャルな領域に過ぎません。そのバーチャルなこころのエネルギーが、これからますます強く人間相互に作用することになるでしょう。生きている間も、死んだ後も…。
地球の人間のこころへの最後の保護回路が、実は光のことばのエネルギーだったのです。
次は、「たましい」が進化して到るべき、光の宇宙のことをお伝えします。

2006年3月8日 積哲夫 記