Vol.614

昭和憲法が裁かれる日

今日の日本の不幸は、明治維新にあったというのが、精神界がくり返し伝えてきている情報で、明治をつくった者たちの罪が裁かれた日が、昭和二十年八月十五日ということになります。その裁きは、死者たちだけではなく、そこで特権を得た多くの人間グループの子孫にまで及びました。そして、ハーグ陸戦条約を無視して、GHQは、昭和憲法を押しつけ、憲法学者という世界的には存在しない学者を東京大学法学部で、さも権威あるかのような地位の者として、活動させることで、一貫して、法律と日本の伝統が別なものであるという教育による洗脳をシステムとして定着させました。この国の法律家の多くは、そこで新発想された、敗戦が革命であったという共産主義者の論理による憲法学なるものを根拠に、生活の糧を得ているのです。彼らの頭の中にある天皇とは、初代が昭和天皇、二代目が、やがて平成天皇と呼ばれることになる二人しかいないのです。つまり、建国、わずか七十年程というのが頭の中にある日本国なのです。昭和天皇をいただく日本国は、歴史の連続性から断絶した異物といってもいいのかも知れません。こうした教育の結果、建国から二百数十年に過ぎないアメリカの文化的優位をほとんどの日本人が受け入れる従属国としての立場が、確定しました。そして、この立場にいることで利益を得られる人間が、いまの日本の支配グループを形成しています。なぜ、そんなことを日本の神々が許したのか、ということが、疑問として生じない人間は、戦後教育によって、神々のわけみたまが封印されてしまった者たちとも、いうことができます。
昭和二十年の敗戦後の多くの日本人は、それまで信じてきた日本の神々が、当時のアメリカの神であったキリスト教の神格に打ち倒されたと感じ、その結果として、昭和天皇までがキリスト教への改宗を考えたという情報が残されているほど、深刻な精神状況にありました。ところが、ここで勢力を急拡大したのは、キリスト教ではなく、その文明の息子である唯物論のマルクス主義でした。つまり、日本人のかなりの部分が、無神論者に改宗したのです。それを助長したのが、GHQの戦前の日本は悪というキャンペーンと昭和憲法をベースにした戦後教育と称するものでした。
日本の神々のわけみたまであることを、こうして、多くの日本人が忘れ、物質万能のアメリカ文化の信奉者となるのには時間はかかりませんでした。
そうして、育った戦後世代が、いま、死に直面しつつあります。彼らの多くは、敗戦の結果としての無神論者のようなもので、生きている間の物欲を持ったまま、死後の世界へ旅立ちます。その行く先が、約束された地獄というのが、これから、意識上にあがる時代がはじまります。
精神学は、キリスト教の神も、日本の神々も、同じ親神を持つものだということをすでにお伝えしています。そして、それらの神や神々のテーマを越えていくために、人間存在が必要なのだということもお伝えしています。この精神学の知識によれば、この日本列島で、神や神々の知として、地上に伝達されてきた最後の審判が、ついに、はじまっているのです。はっきりいうなら、明治維新によって誤った歴史の扉を開いてしまった、大日本帝国という名の国を、神の息吹きを受けていた当時のアメリカを使って打たせ、大日本帝国憲法という神意に反するものを、誰の目にも、国家の基本法とはいえない昭和憲法というもっと悪いものに変えて、その歴史的テーマに気付くことが復活の道であることを示したということです。
その神の息吹きを受けたアメリカは、二千一年の九月十一日の象徴的な事件によってすでに死んでいます。そして、トランプ大統領のアメリカは、古き良きアメリカの道に回帰する方向をあきらかにしつつあり、日本は従属的立場から解放されつつあります。
それらがすべて、天の配剤だというのが、私がこれまでお伝えしてきたことなのですが、これによって、アメリカが、日本を開国させて、戦争に勝利して、支配した明治百五十年のストーリーは終りに近づいています。それを、たましいの試練という視点で見れば、日本列島にキリスト教の悪魔を受け入れて、その悪魔に支配権すら与えて、いよいよ、最後の審判のタイミングがきました。最後まで耐え忍んだ、義の人は、よかったですね、という二千年もの約束および、人間の祈りが成就する日がきたと感じられるのが、この二千十八年の八月なのです。

二千十八年八月十六日 積哲夫 記


【いままで隠されていた文書の再公開/霊性時代Vol.8】 

「死んだら終わり?文明」の終焉

2006年1月17日、鬼門の扉が全開放されてしまいました。この世とあの世の境界がなくなったといってよいのでしょう。実は、1月16日と17日の変わり目、ちょうど24時に、<みおや>からの歌が、3首、同行者を通じて届き、17日が節目になることはわかっていました。ちょうど11年前に、阪神大震災が起きたその日だからです。「最終知識」では、その日、神の戸がひらいたと書いてありますが、この2006年1月17日は、いままで閉ざされていたあの世の戸がひらいた日ということになります。その内容は、17日中に<ひつくのかみ>がすでに伝えているので、これから前のことについて、私なりの説明をしておきます。
先に、最後の一厘と<ミカグラウタ>として伝承されてきた、「みやまには あられふるらし とやまなり」の関係を説明すると伝えましたが、私がするまでもなく、「みやま とは」ではじまる歌が、17日の夜に届いていますので、<みことふみ>をお読みください。

ウシトラノコンジンとは、ウシトラ、つまり鬼門の方角に封印されてきたとされる神格ですが、それがみずからの意志で、責任をとって根の底にくだったという神話を持っています。その神話を伝えるのが出口王仁三郎の霊界物語なのです。出口王仁三郎は、はじめ神から鬼三郎という名を与えられたという話はご存知でしょうか。鬼という文字を使うのはというので、王仁にしたのです。私は、ワニという読み方をしますが、歌をその名で届け、それが希望であることを伝えられているためといっておきます。
ウシトラノコンジンは、ほんとうのところ、この世から去った亡霊をあの世で管理し、この世の側に逆流しないはたらきをしてきました。生きている人間の「たましい」の成長を死者の霊に妨害させないようにすると同時に、この世の側の神々を人間の闇から守るためでもあったのです。このウシトラノコンジンの下で、説話的に伝えられているように鬼は地獄の番人というか、亡霊の管理人というような役割を担っていた存在です。そのウシトラノコンジンから、鬼の名を与えられるということは、正式にお役目を与えられたことを意味するのです。出口王仁三郎にかかった神は、神格的にはその頃あったスサノオ神界のなかでも、小松林ノミコトという名を持つものでした。スサノオそのものがかかったわけではないのです。ウシトラノコンジン→スサノオ→小松林ノミコト、この関係がわからなければ、神的な情報をいくら調べても何もわかりません。
そして、鬼門の扉がひらいて、<コンジン>はもちろん、鬼も亡霊も、この世の側に出てきたわけです。これが、最後の一厘の準備のいちばん重要なポイントなのだと、私は伝えられています。最後の審判と同じ情報なのだと、私はくり返し書いてきました。それが、17日に届いた<みおや>の歌の「くるすの みくるす」という歌に示されています。
「死んだら終わり?文明」の終焉ということに関連して、もうひとつつけ加えると、<ひつくのかみ>が伝えた「カカン ノン テン」ののりとがあります。これは、「ほつまつたえ」にあるものですが、こののりとの奏上の部分で、「ほつまつたえ」には、ミコトやヒコは万年、タミも千年という「たましい」の存在時間をはっきりと記述しているのです。「最終知識」でも、人間の「たましい」は、千年レベルで存続すると書きましたが、ミコトやヒコという神格を持てば、万年という単位、普通の人間でも千年という単位。
いま人間が信じたがっている「死んだら終わり」という文化は、人間の精神史でいうなら、この200年ほどのものにすぎません。それを終わらせる意志がはたらき、あの世とこの世は交流をはじめることになります。
霊やオーラの話が人気になるのは、その序章なのです。

2006年1月18日 積哲夫 記

※よけいなお世話。ことしから節分の鬼やらいは、やめた方がよいでしょう。門がひらいたということは、鬼も自由になりました。昔の「祝詞」や「呪文」は、すでに失効していますから。