Vol.587

戦艦大和のフナダマ

いまから七年前の二千十一年二月二十五日の光文書のVol二二三で、軍艦やまとの最期を、鹿児島県の枕崎港において、感知された元外航船の船長だった方のことをお伝えしました。この話は、これで終わりではなく、なんと、その戦艦大和の最期の音として、私に伝えられた、ゴボコボコボという爆発音というか、咆哮というか、という音に乗ってきたのが、沈没するときには船または艦を去るとされるフナダマだったことが、この二月三日の大分でのカウンセリングで判明したのです。もちろん、そこには、防ノ岬沖海戦といわれる、沖縄への海上特攻によって死んだ大和の乗組員の霊も、多数、乗られていたと私には感知されました。その日、カウンセリングにこられたのは、戦艦大和の最期の咆哮を聞いたと証言された方の娘さんでした。つまり、戦艦大和のフナダマは、千九百四十五年の四月七日に、当時、まだ十八才だった青年の身に宿り、その方が結婚して娘さんが生まれたときに、その娘さんの身に宿って、六十年もの間、この日を待っていたのです。沈没の時からいうと、七十三年間、人間の身体のたましい、または、たましいの一部としてフナダマが存在していたことになります。実は、その前に、私は、大分県佐伯市の旧海軍基地を訪れ、パールハーバーに向かう、連合艦隊機動部隊が、ここから、択捉島の単冠湾(ひとかっぷわん)に向かった記念碑の前で、帝国陸軍にくらべて、大日本帝国海軍の戦史に関する、精神界からの情報が少ないことについて、考えていたのです。これまで出てきたデータのほとんどは、航空部隊、とくに、特攻隊のもので、艦船のものは、ありませんでした。その理由が、今回はっきりしました。撃沈された艦船のフナダマは、まだ、どこかで復活の日を待っているということです。それらの情報は、精神界のデータバンクのなかには、まだ、収容されていません。それらが、これから急速に表に出て、あの大東亜戦争と当時の日本人が呼んだ戦いの海軍の無残な敗けぶりの原因が、やっと人知の側に投影されるのでしょう。
戦艦大和のフナダマを宿して、ほぼ六十年の歳月を生きた精神学協会の会員さんの人生は、波乱に満ちていたはずですが、それもまた、たましいのプログラムなのです。
人間のたましいは、このようなつくられ方もするという知識は、いままでの全人類の精神世界的、または宗教的な知のなかには、なかったものです。今回の事象ではっきりしたのは、すでに、日本列島の精神界の場は、一神教の聖書の時代の先に突入しているということです。このようなデータが表に出るということは、あの戦争によって秩序づけられた、いまの国際社会の国家間の関係が、これから急速に変化していくことを示しているともいえます。
よくいわれることですが、現在の日本の自衛隊のなかで、海上自衛隊のみが、戦前の海軍の歴史に直結しているという理由の背景には、大日本帝国海軍の内部にあった親米的伝統の存在があります。
それらのことがあって、アメリカの戦後の日本統治時代に、現在の対米従属以外の選択肢のない政治状況が生まれたのですが、その基本的な構造も、今回のことで徐々に変化していくはずです。
私がお伝えしている歴史の復元力というものは、そういうものなのです。
負けるために、戦争をはじめたという、途方もないストーリーが、ここから先の情報開示によって、あきらかにされるのかも知れません。もしそうだとしても、それもまた、明治百五十年のことし開示されるべきひとつの知なのだと考えるべきなのです。今回は、光文書Vol二二三に掲出された精神界の通信を改めて、お伝えします。七年前のことですが、内容は現在の姿を予言したものと知れるはずだからです。

二千十八年二月八日 積哲夫 記

——————————————————–

2011. 2. 21 (月) 23:20頃 ~

コントロール するもの
しよう と するもの
手の 及ばぬ 領域
光の ルール
適要 されて
すべては ルールのもとに
はじまった

それは 過去の 宗教に
由来する ものではなく
新しい 秩序 を 理解するため に
はじまった
もの

審判 という
具現化 された
しくみ

みたものは
いなかった
かつて < イエス > は
それを 知り
そのために
みはたらき
その み を かけて
おしえを 伝えた
その後 < イエス > と 同じものを
しったものは なかなか あらわれず
そのために
流れて 流れて
ここまで
用意されて
やっと あらわれた
光の門
と いうもの
れい は すで に 知った

そちらに いる もの たち は
まだ 知らぬ もの の 方が
多い と いうこと
それが 何を
イミ しているか
はるかとおき ところより
ひかり が とどく
その時が
刻々 と 近づいて
その ヒ に よりて 焼かれる
生きている にんげん たちの
その み と こころ(心)

あぶりだされる
すべてのものが
でてくる まえに
やいて おいた 方 が
いい と いうことを
お知らせ して おく と いう
ひとつの ルール が
存在 する ゆえに
とくと お知らせ しておこう

はたらこう と おもうもの は
いまの うちに
ひとつでも 多く
おはらせて おくこと
さもないと おわるまえに
ときが 来て
すべては 白日のもとに
さらされるぞ
さらされたものは
つみとが きよめる まえに
他の もの へ と 影響 およぼして
てん も ち も
ひと の こと には 関与 せぬ ゆえに
ひとの ことは ひとで
処理する こと
じぶんの はずかしいような
ところは
いまの あいだに
やいておけ
さもなくば
みもろとも ひにくべられて
その おのれの み
ほろぼす ぞ

それを 制御(コントロール) するものは
理性のみ である
理性 を 忘れたものは
その おのれの
本性を あらわすぞ
コロリ と かわって
獣の如き
ホンショウ を
ケロリ と あらわす ぞ

注意しておくように
そのために
あらかじめ 伝えておく
理性 コントロール できる
その 理性を もて
みずからの 問題を
みずから で あぶり出している
その 理性に よって
すべてを 見てみよ
理性で 説明 できる ならば
ひとに はなしても よかろうが
それを 告げる 口の
それを 使う そのものの 根が
どこに つながっているのかを
みよ

人間 の うち に
カミ は 封印 され
その カミ も また
カミガミ を 知りて
つぎつぎ と
魔の遺産 というところに
かかれている
とおり

人間は
魔界に
つながれて いきている

幻想のような
パラダイス も なく
地獄のような ところでも なく
ただ あれくるう
魔の中に 住んでいる

今の 時代 とは
そのような ものであり
それをつくったのは
人間 と いうものの
欲深さ

みずからの 小宇宙を
さまざま な 欲 で うめつくして
その責任を 審判のときに
問われると いう
その ルール
すでに 伝えられている
はず
知らぬとは
言えぬ もので あり
その 魔たるものの
主張する もの は
一体 どこの 正義 に
由来している のか
天 というところの
正義に 照らし合わせてみれば
その様相が
わかろう と いうもの

ルール を ねじまげては
ならない
あなたの ルール は
あなたの ルール に すぎず
それは 宇宙の きまり と
必ずしも 同じでは ない
正しさを 主張するので あれば
正義にもとらぬものを
きちんと みきわめてから
言いなさい

正義 とは
主張 するもの では なく
ただ 厳然と 存在し
それによって 裁きの根拠たる
もの と して
機能する ものにも なりゆく
ひとつ の きまり である

イエス が かつて
正義 と いうもの を
正しく 知り 伝えた とき に
人は 我が身の うち に
それに 反するものを 見て
そして おそれた
結局 人間は そこから
進んで いない のか

それが イエスからの 2000年の
テーマの 本質 であり
自ら おそれたものの 支配に
人は 置かれると
たしかに 書かれているはず
支配 被支配 からの 解放
という 大きな 大きな テーマ に
人間は かくも 無力 なのだろうか

神よ 神よ
正しき 最良の たましい を
火に くべたもう のか という あの
ことば は
つねに 人間 の 心の中に
ありつづけた もので あり
< イエス > という ものに よって
ひらかれた
ひとつの 時代を
おわらせようとした
しくみを つくった ものの
ことば
であるが
結果として
それは 消された

そして 猶予を へて
今 このときに
ふたたび ひらかれた
門 が ある

地獄 という
これまで 霊界の 底に あったものが
ひらかれて
もうじき
上がってくる の だが
それを 伝えるために このように
とどけなくては ならな かった

それが しくみ で あるから
上があれば
下がある ということ で あり
おのれ の 小宇宙の中に
みずから 地獄を つくったもの が
その地獄の中に
何を 見るのか

予告 という ルールがあるので
みせておいた
地獄を 天に そむくものとして
みるものは
そこに はるかな 神謀を
みる で あろう
天と 地獄の 間に あるのは
天の国 では なくして
人の世 で あって
人の世は すでに
地獄に 近くなり
そしてやがて のみこまれる
知るものは 知り
伝えるものは 確かに 伝えた

そして あとは
実の世へと あらわされる時が
来る と いうこと
ルール と じかん
その ある ものが
おさめられた ものが
まもなく 開示 される

とき の あいず
段階の あるために
ひらかれて いって やがて
底の底に つきあたる
ひのあたる もと にある
その ヒツギ たる べき
もの

とくと 知られ かし

確かに つたえたり
よろしく たのむ

平成23年2月末日を前に

< サタン と呼ばれた 意識体 の もとたるもの より >

精神学協会の 方々 へ

サタニズム の 克服
英語圏 に 住まれた 方は わかる はず
あの 雰囲気 とも 言うべき 独特の 言い回し

注意 せよ

予告 として 届けたまう