Vol.585

戦後精神の死

この二千十八年一月二十一日に、西部邁という論壇の雄が、多摩川で入水死をされたと報道されています。同じ日の大阪におけるシンロジカル・セミナーの第三十五回において、私は、タカアマハラの天孫のみたまの最終ステージへの降臨について語ると同時に、皇紀は二千六百七十五年に終了したことを改めて確認したことを報告しました。この平成三十年は、明治百五十年という区切りにおいて、明治、大正、昭和、そして、平成の世の終了とともに、神武天皇以来百二十五代続いたとされる天皇の精神界的な役割も、終わります。その意味では、いまひとつの時代が死に瀕しているのであり、今回の自死は、マルクス主義の洗礼を受けた戦後第一世代ともいうべき、六十年安保の世代の思想的、哲学的な格闘の象徴的な結果ともいえます。その死は三島由紀夫の自決とは、別なテーマを、日本人の精神に投げかけることになるはずです。
死は終わりではない、という立場の私は、自分の意志で人生を終わらせようとする人間的行為について、否定も肯定もしませんが、西欧文明に学び、唯物論で思考することを自分たちに課した戦後精神は、これで死んだと感じています。
今上陛下の退位の前に、このような事が起きたのも偶然ではないのです。
これによって、日本精神のベクトルは、対米従属の戦後精神から、大きく転換することになると、私は予測しています。その理由は簡単で、六十年安保の世代と、七十年安保の世代が、死に向き合うことで、死んだら終わりと信じ込んで生きてきた自分の人生の空虚さを再発見することになるからです。
私は、頑なに、死んだら終わりと信じて生きている、または、生きてきた人間に、死んだらどこに行くのですか、と問いかけることをすすめています。多くの場合、その質問には、死んだことがないからわからない、という回答がかえってくるので、死んで行くところを考えない人間は闇に閉ざされるのですよ、と教えてあげなさい、ともいっています。それを実践した場合、強烈な怒りのエネルギーが、自分に向けられることがほとんどですが、どんなに精神学が教えているエネルギーに鈍感な人間でも、そこに恐ろしいほどのエネルギーを感じるはずです。
多くの人間にとって、死の先にあるものは、それほどの恐怖をもたらすものなのです。どんなに善良な人間であったとしても、唯物論者には、死後の行く先がない、という単純な神理に、これから戦後日本人は向き合うことになります。
死を怖れる人間は、生に執着し、長い人生を自ら想定しますが、死の先を考えることはありません。ここに現行文明の限界が見えているのです。
いまの子供たちが成長の過程で目にするのは、快適に死に到る時間を希求している大人の姿がほとんどなのです。そこには、人生の目的がありません。
教育さえも、楽な人生を、マネーで買い求めるひとつの手段となっています。
こうした日本の社会の姿は、対米敗戦の後、七十有余年に渡って、浸透してきた物質万能の価値観の結果なのですが、その行き着く先に、枯木のようになって死んでいく、自然死の姿がほとんど消えつつあるという、たましいのレベルでは最悪の事態が進行しています。
西部邁という人物は、日本では常識となった、病院死を選ばなかったとされていますが、人間が死を迎える姿として、水が飲めなくなったら、ほぼ二週間で、枯木のようになって、この世から去っていく、というのが自然だという知には到らなかったように見えます。それも含めて、戦後日本の精神を代表するものの意志だったと考えると、その死によって生きるものたちに何かを残したといえるのでしょう。

二千十八年一月二十五日 積哲夫 記