Vol.566

シンロジカル・シンキング

天は、精神学の英語表記をシンロジーと定めましたが、ここに到って、その背景には、この宇宙のしくみを科学的知が理解しつつあることを前提にした時間を超える情報伝達の手段があることを、開示する意志が存在していることがはっきりしてきました。
その出発点は、精神的なエネルギーの場が物質宇宙に先立って存在したという、「最終知識」の知です。近年、この人間の世の側で、物理学者たちが、この物質宇宙の創世の前に存在したエネルギーの領域に、ある種の意識や意志が存在したとすると、そこから生じた物質、つまり、素粒子レベルのすべてのものに、その意識や意志は投影されていると考えるところにまで到達しています。これは、人知です。つまり、人知が精神学の出発点である、精神的エネルギーが物質的宇宙を創成したという神知に到ったわけです。すると、アインシュタインの有名なE=MC²というものが示す、エネルギーから生まれた、物質と時間という数式が示す、物質にも時間にも、この原初の意識や意志が刻印されているという結論に到ります。
精神学のもうひとつの出発点は、ブッダもイエスも人間であったというところにあります。
同じ人間であるということをつきつめれば、人間は誰でも、ブッダやイエスになれる可能性を持つということになります。これは理です。
この宇宙のなかで、地球が生まれ、生命が誕生し、人間が生まれるという一連の時間の流れにも、原初の意識や意志がはたらき続けていると考えることは、すでに充分、科学的なことなのです。
私は、これまでの精神学について、科学よりも科学的な知の体系だといい続けてきました。
ここで、今日のタイトルに揚げた、シンロジカル・シンキングを、解説すると、それは、真にロジカルなシンキングということです。この真に理論的な思考の体系こそ、精神学なのです。
文明史的に、いまの世界を見てください。西欧近代が生み出した、資本主義も、民主主義も、共産主義も、行き詰まっています。そして、残念ながら、一神教の文明の世界からは、この次の時代に人間の存在の価値を見い出すべき新しい思考は、提示されていないのです。
精神学は、人間のたましいの基本にある光と呼ばれるエネルギーの正体を、愛と勇気と正義の三位一体のものとして伝えています。シンロジカル・シンキングで、この知を、精神学に先立って伝達しているものを探してみると、この国の皇室に伝わる三種の神器がすぐに思い浮かぶことになります。
玉は、愛のシンボルであり、剣は、勇気のシンボルであり、鏡は正義のシンボルです。
こうした宇宙創成の意識や意志を否定した人間の欲を正当化する主張によって、現在の文明は支えられています。私たちの生命、つまり、進化の過程であった細菌レベルの遺伝子から、植物や動物の細胞レベルの遺伝子までが、そうした人間の欲から発せられる邪悪な意識のエネルギーにさらされ続けていると考えてみてください。
イエスの十字架にシンボライズされている、この二千年紀の物語の主要なるテーマこそ、この人間の持つ神性を地上から消し去ろうとする邪悪な闇のエネルギーを、人知の領域に入れ、この世で生きているひとりひとりの人間が、処理できるようなところにまで成長させるというものだったというのが、私がこれまでくり返しお伝えしてきた情報の本質なのです。
シンロジカルに考えれば、人間存在は、次のより高次な存在のかたちへと成長するために、いまこの時代に向き合っているということに気づくはずです。
この国のかたちとしくみには、その扉を開く秘密が隠されています。

二千十七年九月十四日 積哲夫 記