Vol.544

半島有事

この二千十七年の四月九日に、ある導きがあり、福井県小浜市にある、かつての若狭国の一の宮である若狭彦神社と若狭姫神社と遠敷(おにゅう)の街に行き、その後、福井県敦賀市にある越前国の一宮である、氣比神宮に行ってきました。
遠敷という地は、古来、東大寺のお水取りのための水を送るところとして知られ、めのう細工で繁栄したとされていますが、そのもとをつくったのが古代イスラエルの民、レビ族だったという情報が私のもとには届いています。
レビ族は、一般には、イスラエルの失われた十支族のなかには含まれていませんが、祭祀を司る一族で、その祖はモーゼの弟のアロンだとされています。そのレビ族の伝承を持つ人間グループが、白村江の戦いに敗れたことで、滅亡した百済の王族と共に、この国に移住してきたという口伝が、その一族の長には伝えられています。
また、氣比神宮の地には、かつてこの国と親しかった大陸の渤海国との使節を受け入れた松原客館というものがあり、その管理をしていたのも氣比神宮だったとされています。
調べてみればわかるように、この渤海国は、今日の北朝鮮の大半と中国とロシアの一部を支配する大きな面積を持つ国でした。今回の訪問で、大陸と半島に縁の深い神社の結界が、これまでにないほど強化されていることを確認させられたわけですが、それは、精神界においても半島有事という危機が認識されていることを示しています。
先の大戦において、ほとんど動かなかった日本神界の結界が、日清と日露の時のようにこの国を守る方向に変化しつつあるといってもいいのでしょう。
アメリカは、大日本帝国に勝利したことで、かつてこの国が置かれたのとほぼ同じ立場で、半島と大陸の国と向き合うことになるのですが、ここに到るまでに、東西冷戦という別の戦略的対決があり、それに勝利したアメリカの目の前には、かつてないほどに強大化した中華人民共和国が立っています。
日本という国の復活を恐れ、日本という国を無力化するために、半島と大陸の国々を使ってきたアメリカの戦略が、自分たちのリスクを増大させてきたことに気づく時がきたのかもしれません。
ところが、日本では、敗戦後のGHQの工作によって、戦争という言葉を無意識に排除するというメディアの行動が、いまそこにある危機から国民の目をそらし続けています。
常識的に考えて、北朝鮮の核の目標が、日本列島上にあるアメリカ軍の基地であるということを一般の日本人が知らないはずがないのです。
つまり、広島、長崎に続く、核兵器の三度目の被害地域がこの日本国のどこかという可能性が、きわめて高いという現実にも、日本人が気づくタイミングがきています。
核武装が、最も安価な安全保障対策だということを、北朝鮮の行動は教えてくれているのですが、この国を守るための論議が一切なされていない、国会やメディアの活動を見れば、すでに戦後の日本は死んだといっても過言ではないのです。こうした危機のタイミングで、一般の日本人のたましいに内包された覚醒のプログラムのスイッチが入るというのが、精神界が伝えてきた最後の一厘のプログラムなのですが、核の使用が現実化する前に、その変化がはじまることを祈らざるを得ないところに私たちは追い込まれています。
核の先制不使用という、戦後体制のルールの変更の先に何があるのかを、ひとりひとりの日本人が考えるべき時がきています。

二千十七年四月十三日 積哲夫 記