vol.532

昭和憲法

この二千十七年の一月に、私がこれまで現行憲法と記述してきたものを昭和憲法といいかえよ、という命がくだってきたので、一月十五日から、そう呼ぶことにしました。
このタイミングに合わせるように、東京のテレビ局に保管されていた故三島由紀夫の録音テープのなかで、昭和憲法は「日本人に死ねといっているんです」という言葉が残されていたことが報道されました。
「平和憲法は偽善です」という言葉が、いまという時代に、多くの日本人のなかで、ふに落ちるという現象が起き、これによって、戦後のマスメディアや言論空間を彩ってきた「平和」というおとだま、ことだまに、どこかうさん臭いイメージが附与されることになります。それは同時に、平和教育といったような、特定のイデオロギーに染まった人間たちの戦後の生活を支えてきた、暗黙の民衆からの支持が消滅することも意味しています。
この昭和憲法という言葉の出現で、明治憲法と昭和憲法というような対比が可能になります。それによって、明治憲法が世界を植民地支配していたヨーロッパ文明に由来するもの、昭和憲法が、戦争に勝利したアメリカがハーグ陸戦条約を無視して、当時のアメリカのニューディール政策に共感する人間たちの理想主義と日本を二度と立ち上がれないようにするという政治目標の合体物、つまり、アメリカ文明に由来するもの、という歴史的理解が可能になります。
二十一世紀に入って、すでにヨーロッパ文明の終わりは見えていて、二千十六年の大統領選挙で、歴史的には、最も尊敬されない二人の大統領候補が競い、結果として、不動産事業者が勝利したことで、自由や人権というアメリカ文明の価値は世界的に低下していくことは確実視されています。
それは、トランプ新大統領のいう、アメリカ・ファーストが、成熟した大人のアメリカではなく、ワガママで自己中心的な幼児退行したアメリカの姿を世界に示すことになるからです。
アメリカ文明のメッキが剥がれ落ちるのと並行して、日本人のなかにあって、昭和憲法の輝きも失われていくはずです。
こうして、これからの日本は、東洋文明の唯一の正統な継承者としての地位と、西欧文明が目指してきた、自由や平等や人権といったものを法体制の中心に置いた新しいタイプの法治国家として、ヨーロッパ・アメリカ文明の継承発展者として、世界に認知される道を進むはずです。ただ、この道は、過去の文明圏のように、外に発展するのではなく、国境を閉ざし、内なる文明的な深化と進化をはかるものになるというのが、精神界が、私を通して、くり返し、この世に伝達していることは改めて強調しておきます。
実は、二千十六年に、福岡の筥崎宮にある、元寇のときに亀山上皇が書いたとされる、「敵国降伏」の文字が改めて注目される時代に突入したことが、私には伝えられ、このクニの精神界は、このクニを守る結界を改めつつあります。
こうした精神界の動きを反映した一般の日本人の意識の現れ方が、たとえば、若い世代の靖国神社への参拝者の増加などなのです。
私のこれまでの情報開示を知っている人間なら、この国の精神界は、あの千九百四十一年の十二月八日に、ハワイのパールハーバーの攻撃で幕を開いた戦争に、沈黙を守ったことも理解しているはずですが、今回は違います。
前回、この国の精神界がこのような動きを見せたのは、たぶん、明治維新の前夜だったはずです。
明治維新からの百五十年に向けて、こうした動きもすべてプログラムされていたとしたら、日本のしくみ、というものの途方もなさが、すこしは人間的にも理解できるのかも知れません。
すべては白村江の敗北のあと、約千三百年前に用意され、物語を読み終えた意識が歴史を検証することで、その大いなる意志、神と人間が呼ぶ存在を確認できるようにしくまれていることが、これからあきらかになります。
その一歩が、いまある憲法を昭和憲法と呼ぶ習慣を私たちが持つことなのかも知れません。

二千十七年一月十九日 積哲夫 記