vol.516

灰天使

この2016年の10月に到って、キリスト教世界の人間に宿っていた天使と悪魔の役割が変化したという報告があり、戦後の日本が大量に受け入れたアメリカ由来の悪魔が、ハルマゲドンの先の物語への参加をはじめようとしています。
悪魔は、もともとは堕天使と呼ばれるように、天上に座を持つものでしたが、地上の人間界を支配することで、天に対抗しようとしてきました。聖書の物語が終わりに近づくなかで、彼らは日本人のたましいとの接触により、自分たちの内部にあった光の因子を発動させられたといってもいいのでしょう。いまの世界を事実上支配しているのは、人間由来の悪魔的存在で、神界を知るものではないということが、闇の世界の住民にもわかりはじめているらしいといってもいいのかもしれません。別ないい方をすると、いま、この地上に生きている人間の多くは、実は堕天使として生を受け、人生の試練のなかで、天使としてのはたらきをすることで、そのたましいは天に帰っていくという物語のなかにいるということです。
たましいを磨くために人間としてこの世に生きているのが、人間の姿とするならば、ひとりひとりの人間の人生のうちに光と闇の戦いがあり、それを反映するかのように、地球全体でも、その光と闇の戦いが続いてきたというのが、すくなくとも過去2000年の歴史の正体です。
いま、普通の日本人の内なる世界で、キリスト教的には天使と悪魔の最終的な対決という物語の進行が止まり、悪魔も天使も、そのもとたる神の不完全さを再発見して、その役割を終了させはじめているということが、私の認識下で起きている事象なのですが、これは、日本型のマンガやアニメのコンテンツにほぼ通奏低音のように登場してくるテーマです。
つまり、日本人の行動原理には、究極の悪も、究極の善も存在せず、その視点での人間界の理解には、悪には悪のお役目、善には善のお役目というような直感的な物語宇宙の理解があるといえます。
この物語作者の視線というのは、ある意味で神の目線と同じものです。たとえば小説において、人間の運命を定めるのは、物語作者の手に委ねられています。
人間が、創造的なはたらきに興味を持つのは、その内部に神たる意識のかけらを宿しているということです。その物語宇宙のなかで、この2016年10月から、日本人の日本語脳のしくみの内部で、西洋由来、またはアメリカ由来の悪魔的な意識体の悔い改めのプログラムが発動したというのが、私が知っている変化なのですが、この先にあるのは、アメリカ文明のコンテンツの崩壊のはずです。そして、その先にあるのは、そのコンテンツに支えられてきたドル基軸体制の終末の物語です。日本は、その世界秩序の崩壊が進むなかで、どう生きるのかをこれから考えていかなければならないのですが、それは、人間の内部に存在し、これまで、その人間を地獄に落とすためにはたらいてきた悪魔という存在が、灰色の天使としてその人間のたましいを導く活動をするのに対応した行動を国家としてするようになるはずです。
歴史上、そんな行動をした国家は存在しません。もし、日本がその次の時代をつくることに失敗すると、この世界そのものが闇のなかに沈みます。それほど、重大な役割を担うのが、日本文明なのですが、その主役となる意識が、マンガやアニメによって形成されてきた子供の心をとりこにする何かなのです。
その何かとは、神の国の共通意識といってもいいものです。
強いものは弱いものを助け、共に生きるという、暴力的な支配者の存在しない社会こそが、実は日本という国が、目指してきたもので、それがこれから実現できるかもしれないという出発点に、この国は2016年に立ったことを示すのが、怖れによって支配してきた西洋文明の象徴としての悪魔の改心なのです。
その灰色の天使たちが、これから、人間界に知らすべきことが増加し、その情報から新しいコンテンツが人間界に供給されるはずです。
この新しい創造に参加できるのは、光が勝利したことをしっているたましいの持ち主で、その人間の内で、造物主の光がはたらきはじめるという至高の体験をするはずです。

2016年10月6日 積哲夫 記