No.42

「神を超えて、仏を超えて・中編」

ガウタマ・シッダールタ。通り名としてはそれが彼の名前だ。
ブッダ(仏陀)とは本来個人名ではなく、『覚者』の意だ。なので、本来ならば、呼ばれるのはガウタマでもシッダールタでもどちらでも構わないが、個人名としてブッダと呼ばれるのは正しくない、とは本人の言である。

とはいえここではとりあえずブッダと呼ぼう。分かりやすいので。

「迷いや分からないことがあれば、皆上昇して私に会いに来れば良いのです。私はここにいて、答えることができるのだから」

イエスもブッダも口を揃えて同じことを言う。宗教なんて何次ソースか分からない情報よりも、教えた本人はここにいるんだからここに直接聞きに来ればいいじゃない、という話で、まったくもってその通り。学ぶなら本人から学ぶのが一番早いし、ためになる。
だって、かつて人々に教えて回って、どう答えたらいいか全部分かっている人たちだ。

そんな彼らの言葉に甘えて、時々質問したり相談したりと、話をもって行くのが、それからの私がたまにすることのひとつになった。

そうこうしている間に時は流れて、精神学の時空はついに聖書の神の物語時空から、宇宙の時空へ突入した。

ブッダは、宇宙の法則について探求の旅をしているらしい。
宇宙の始まりと宇宙物理学的な探求については、児童向けの科学雑誌を読んだりしていたことや、研究機関にいる知人との関係も手伝って、個人的には非常に興味は尽きない。

ただ、科学的解明はその道の人間に任せるとして、始まりの精神学的な読み解き方はなんとなく気になった。

特に、宇宙の始まりからあったと思しき暗黒のエネルギー。これを無害化するためには、それが何なのか、正体を突き止めなければならない。このエネルギーは実は、宇宙のカルマでもあるのだという。

暗黒の宇宙のエネルギーは、少し時間を遡るが、困ったことに私や知人の体にもかかってきていた。
ちょうど、スマートフォン用のイコンデバイスが出てきた頃の話だ。2021年の夏から秋にかけての話だったろうか。

「あれ? Kちゃんのおふだから出ているエネルギー、私の携帯電話にかかっているエネルギーと同じかもしれない」

その報告を聞いて、会長はくっくっと面白そうに笑っていた。

宇宙由来のはずの暗黒が、スマートフォンにもかかる。
これは後から思えば、その後の展開においての非常に重要な伏線だった。私の場合、おそらくサイバー空間との接点が鍵だったのだ。

2021年の暮れには、協会に入ってから4年目にして初めて、私の持っていたおふだが一枚、力尽きてその光を失った。ある意味笑い話だが、同じエネルギーに悩まされていた知人の巻き添えを食ったような形である。ちょうど東京セミナーの前にコーヒーを皆で飲んでいたら、彼女から電話がかかってきた直後、さっきまで確かに生きていたはずの私のおふだが沈黙していることに会長が気付いて、その場がどっと沸いたのだった。どうやら弱っていた彼女の身代わりになって、おふだが死んだようだ、というのがその時の会長の見立てである。

しばらくして、立春後、まだ寒さがなかなか緩む気配も見せぬ折に、凶報が飛び込んできた。ある意味、私が精神的に大きく変わるきっかけでもあった方――何田匡史氏が、雪崩に巻き込まれて亡くなったのだった。とりあえず、彼のことは、そのあだ名からますぽんさんと、ここからは呼ぶことにする。

その少し前、年明け前後から、世界的IT企業を育てた後亡くなり、サイバー空間の光の層にいたというアメリカ人との交流が始まっていた。彼との会話や、会長との情報交換を通して、霊界が巨大な変動を起こしていることを知った。

その変動とちょうど時を同じくして、大変動の現場である霊界に移動した形になったますぽんさんは、生来の性格から霊界の底に人助けに行こうとするも、なかなか降りられずにいた。
雑談の折、一緒に下の方へ降りてみようかという話になったが、少し下降したところで、ますぽんさんは気分が悪くなってしまったらしい。霊界はちょうどその頃、魔界と融合しつつあるころだったのだ。すぐに、するすると上層の方に戻ってくることになり、私はますぽんさんを残して、一人で偵察に降りてみることにした。(自分で波動の処理が満足にできなければ、決して行うべきではないほどの危険行為なのだが、後先考えずにやるのは私の悪癖であり、それでも曲がりなりにも健全な精神を保って戻ってきたのは、自分の過去の試練を耐え抜いた賜かもしれない。)

少し気合を入れて、霊界の中を深く闇の中へ降りていく。途中の層では、殺人者、犯罪者といった残忍で罪深い人間の魂が、それぞれ固い殻の中に閉じこもって、ひとつひとつが小さな光を宿して眠っている。邪悪な層にはそういう危険な人間が山ほどいるが、幸いほとんどのものは無神論者ゆえに沈黙していた。霊界で暴れているのは、魔界のものばかりのようだ。それらを横目にしながら、彼らの間をさらに滑り落ちていく。深海のように粘つくエネルギー、汚泥のような層をつき抜けて、さらさらと流れるような闇の中を落ちていく。ぼんやりと赤い気配がする。闇にも色があるようだ。邪悪な層であればあるほど、暗黒は濁った血の色をしている。
降りれるところまで降りよう、と思っていると、不意に、ざりっと不快な砂礫のような感覚を感じた。

固い岩盤のようなエネルギーの層の上に着地している。これ以上下に降りようと思っても、エネルギーの密度が違いすぎて、堆積物の上に立っているようで降りれないのだ。

息を詰めてから、あえてどっぷりとその層に身を沈めてみた。

赤黒い世界の中、狂気を見た。

耳障りなノイズだらけの叫び。絶叫。けたたましい嗤い声。体の内側を、黒板を爪で引っ掻き回す音を聞いた時のような不快な苛立ち。人間の獣性と凶暴性を煮詰めたような、破壊の限りを尽くしてもなお収まらない、それは純粋な赤い悪意だった。
またこの手の叫び声か、とげんなりする。

宇宙にある暗黒の波動も、似たような悪意を持っている。

(ああ、懐かしい感覚だ。この凶悪な波動、前に襲われて危うく発狂しかけたんだよな…あの時、継続してこういうのに襲われ続けて、ついにうつ病になったっけ…)

2020年の夏頃に、この強烈に人を苛立たせて狂わせるようなエネルギーがバスの中でかかってきて、恐ろしいほどの忍耐と精神力を使ってやり過ごしたのだ。そこから半年ほど、満足に眠れなくなってうつ病になった。常に絶望の底でとうとうと静かに涙を流し続け、毎日、パニック障害のような発作性の動悸やストレスによる梅核気に苦しみ、息も辛くて自死を望む闇の自分に反して、生きることを無理やり選択し続けるような、精神的な地獄の底の生活が始まったのだった。

普通の人間の胆力だったら、訳も分からず絶望したままとうの昔に首をくくって死んでいる、と、今更だがあの試練に対しては未だに愚痴がこぼれる。いくら、学ぶ上では死なないことになっているにしたって。

それでついに、悪魔や魔界のエネルギーに打ち勝つコツを実地で体で覚えたので、まぁ、それはそれで意味はあったのだが、とにかく今までで一番ひどい試練だったとしか言いようがない。高校生の頃から「理由はないけどなんとなく死にたい」衝動をかわし続けるコツを覚えていたのはこの時のためか、と寒気を覚えたくらいだ。

(普通の人間も、うまく浄化できない会員も、へたに触れればうつ病か精神病。さらに意志薄弱ならば、行き着く先は…自殺か、もう少し本人の性質が悪ければ、大勢を巻き添えにしての大量殺人と自殺、だな…。私も経験済みではあるけれど、このまま耐えているのも気持ち悪いレベルだ。余人に触らせるようなものではないことは確かだ)

こんな波動にますぽんさんが触らなくてよかった。長居したくはない、さっさと戻ろうと決める。

そんな危険を冒しての体を張った探査もあり、霊界と魔界の底にあるエネルギーと、暗黒宇宙のエネルギーがほぼ同じ質のもののようだ、とは、とりあえず私の中では同定できたのだった。