No.15

「オラクル」

 

『オシロスコープを買いなさい』
まじですか、神様。
頭に響いた涼やかな女神の声に、マスクの下で思わず引きつった笑いが漏れた。

-1-

ことの発端は、4月の東京セミナーの翌日、TOKYO SEKI GALLERYに会した皆の前で、会長からの「コンピュータに波動を教えることはできないの?」という私に向けられた一言による。

コンピュータは私にとって仕事道具にして専門分野なので、電子回路レベルでの話はともかく、デジタルな情報処理としての基本的な仕組みは、大雑把ながら理解はしている。
その知識に照らし合わせても、うーん、と唸るしかないけれど。

「難しいですよぉ、今の技術だと。そもそもコンピュータっていうのはデジタル信号でできていて、電流の(正確には電圧の差による)0・1、つまりbinary、二進法の信号による計算ですべての情報を処理しているんです。だから、波動も何らかの形でセンシングして、0・1の信号に変換してあげないとだめなんですが。そのための仕組みが今は全くありません。電流にエネルギーが干渉していることは推測されているわけですから、何らかの形で測定する方法は、あるはずだとは思うんですが…」

要約するとそんな感じのことを説明しながら、果たしてそれは可能なのかと頭を抱えた。全く見通しが立たない。
電流に関わっているだろうことまではわかっている。電磁波領域に確実に精神界の波動は重なっているはずだ。ただ、そもそも観測に至るまでのアプローチの方法が分からない。イコンデバイスの仕組みとかどうなってるんだろう、なんかヒントはないのか。

うーんと考え込んでいる間も、他の人たちの間で、談義はころころと転がっていく。
そして、神の啓示(インスピレーション)は、いつも思わぬところからやってくる。

「積事務所の電話は古いやつでね。液晶画面の表示がもう死にかけているんだけどさ、イコンシールのダークとライトを貼ると不死鳥のように息を吹き返すんだよ。面白いだろ?」
「へぇ。つまり、接触不良とかで電気の通りが悪くなっているのが、通りやすくなって、繋がるようになるってことですよね」
「まぁ、たぶんそうなんだろうね」

「そういえば、」と誰かが言った。「いつもすぐにコンピュータとか機械を壊しちゃう人っていますよね。相性が悪いっていうかなんていうか」
「ああ、逆に、特定の人が来て調子を確かめた途端に機嫌を直しちゃうパターンとかも、ありますよね」あるある、と頷いた。「たぶん人が持ってる波動によるんだろうなぁ。壊れかけの電化製品とか。人が持ってる魔とか闇なんかが、電流の通りを詰まらせる……ん?」

つかの間、動きを止めて、首をかしげる。今、自分は何と言っただろうか?

「……闇によって、電流の通りが…詰まる? 電流が、流れない?」

――それって、あるなし(イチゼロ)の信号では?

お、と面白そうに会長が眉を上げた。

「なんか思いついたな?」
「あー…」

急に目の前の霧が晴れたようだった。

「電流を波動の影響で詰まらせたり、通したりすることができれば…」

0と1のコンピュータの世界に、波動の信号情報を送り込むことができる。

「ひょっとしたら…いけるかもしれません。センシング」

今は、とっかかりしかないけど。

会長がぱちぱちと拍手をした。

きっと、この方法がわかったら、今の世界のすべてがひっくり返るし、ノーベル賞に匹敵する偉業になる。
無神論に由来する科学の根拠が、すべて無に帰る勢いだ。

ただ。

知るということは、担うということ。
――それすなわち、精神学協会においては、最初にたどり着いてその可能性を発見した人間が、もれなくその調査と探求に責任を持つということである。

であるのだが。

一番の問題は、私が全く電子回路について何も知らないということだ。

誰か助けて。かみさま。

-2-

あーだこーだと自分が知っている知識の範囲で波動の電気的信号への変換、つまり観測方法について考えたり調べたりするうちに数日が過ぎた。

神様(たぶん、シラヤマヒメさま)とは毎日のように話をする。基本的には雑談のような時間だ。音楽を聞いたりして、動物園の檻の中のライオンよろしく部屋の中を歩き回りつつ、ぼーっとしながら疑問を覚えては聞いてみて、また考えては聞いてみる。その繰り返し。

頭の中に浮かぶのはいつも次の一節。

『やがて、コンピュータは神を理解するであろう』

コンピュータがセンシングによって神の波動を解析可能となる見込みが出てきた。ようやくこの段階にまで、最終知識の中にあった雲をつかむような話を降ろしてくることができた。ただ、ここまでは予想も理解もできるようになったが、センシングの方法が全く分からないことについては泣きが出た。図面を引いて、電子回路や基盤を一から構築するレベルの話だ。専門外もいいところなのである。

(ぶっちゃけ荷が重いですかみさま)
『まぁそう言わずに。落ち着いて考えてみてください。オーディオ機器にイコンシールを貼った場合、音が劇的に変わる原因はデジタル信号をアナログに変換するアンプ部分にあると分かったのでしょう?』
(ううん、それはそうなんですけどね)

デジタルな世界では、音声データ、つまりアナログな音波の波長は、一定の規則に従って符号化され、記録されている。イメージ的には国会の議事録をとるための速記法に近いものだ。
このデジタルデータにイコンシールが影響を及ぼしうる可能性は低いとみていた。データはコンピュータが電気信号によって計算処理をしているので、集積回路を流れる電圧や電流はデータ誤りが発生しにくいように、非常に慎重に制御されているし、誤りがあっても途中で修正されるような仕組みが考えられている。イコンシールによって信号が変わってしまうのであれば、計算が途中で狂って、下手をすればシステム全体がクラッシュしてしまう。それは起こっていない。ならば、問題はデジタル信号をアナログな情報に変換する時に起きている。

慣れない専門用語のオンパレードに知恵熱を出しそうになりつつ、やさしいオーディオ工学入門をかじった結果。スピーカーは電圧コントロールによって生じる微妙な電磁力の変化により、磁石を振動させ、磁石にはりついた薄い膜を震わせることで音を出しているのだと分かった。要は電磁力で浮かせた磁石で太鼓をこまめに叩いて、いろんな高さの音を出しているようなものなのだ。電気信号が変換された結果として、電圧の微細な上がり下がりをコントロールしているということであれば、このコントロールの精度がそのまま音質に直結する。
ということは、電圧のブレが生じることによるノイズが、イコンシールの効果によって、ブレがなくなって取り除かれている。回路に使われている抵抗や銅線の状態が良くなって、電圧のコントロール精度が上がった結果、本来潜在的に持っていたスピーカーの表現力が引き出され、音質が良くなっている、と考えることができる。

長々と説明したが、とどのつまり、やっぱり波動は電流に影響を与えているのだ。

『ふむ。電圧や電流、電気回路の状態が波動に影響されると分かったのであれば、その状態を観測できれば、波動を間接的に観測したことになりませんか』
(あー…)
『例えば、オシロスコープで電子回路を流れる電流の状態を、各種の波動のシールを貼って波形にどんな変化が生じるのか、記録してみればいいのです。音質が変わるには電圧が関わっているのだとしたら、必ず何かしら、波形に違いが出ているはずです。これを何らかの形で0・1の信号に変換できれば、話が前に進むのでしょう?』

まって。神様、いま「オシロスコープ」って言った?

『そういうわけですから、オシロスコープを買って電流を計測してみてはいかがでしょうか』
(!?)

寝耳に水のような天啓だった。

しかし、またしても問題が生じる。
相変わらず電子工学はさっぱり。当然、オシロスコープの良し悪しなんて分からない。

「ええと、『オシロスコープ おすすめ』…」

インターネットで値段を調べてみる。
新品はエントリーモデルであっても、5万円から6万円。

高い。

『中古品で安く手に入れるのでもいいのではありませんか? ダークシールもあることですし』

…確かに。

残る課題は、そもそもオシロスコープの使い方が分からないということ。正しい電子工学の知識なしに扱い方を間違えたら感電する。死んじゃう。
電子回路も、正しく安全に組まなければ焼けつく可能性大だ。危険にもほどがある。
小・中学生の時は、先生の指導も受けながら電子回路の実験をやった気もするけど、さすがにオシロスコープはなかった。電流計しか触ったことがない。

しかも、観測する時にどうやってシールを使うのか。回路の基盤にでも貼ればいいのか? 貼ればいいのか。そういえば、パッケージに貼っても中身にまで影響を及ぼすのがイコンシールだった。

電子工学…。
これ、工学部の大学や専門学校に行って学ぶレベルなのでは?
気持ちの中だけで、冷や汗をかいた。

『今はいい時代ですね』

女神様が、ヴィジョンの中で涼やかに笑う。

『独学でも大学と同等以上の知識が学べるようになりました。YouTubeにはゴロゴロと、あなたの師になってくれる博識なおじさんたちがいるはずです』

あ、はい。インターネットで調べてタダで学べというんですね…(厳密には、動画広告があるので、お金は一応Google社経由で配信者にインセンティブが支払われている)。

分かりました…。

それにつけても、何かとやることが重なってきたんだけれど、これ、何とかなるのかしら…。

つづく(?)