ヒカリノツルギ ①

【 ヒカリノツルギ とは何か】

最終知識に記されている『光の剣』のことである。

想像上のものではなく、実在している。

用意の整った持つべき者のもとに託される。

情報体の形で存在しているため、一振りしか無いというわけではなく、

持つべき者の数だけ存在している。

数ヶ月ほど前に、そのうちの一振りが私に託された。

託されはしたものの、その時の私には扱い方がわからぬばかりか、

想像していたものとは異なり、

わずかばかりの光さえ発していなかった。

そのツルギに  ひ  が入るには、少しばかり必要なことがあったのだ。

正しき知識

正しき理解

正しき決意

正しき未来をもたらすという点において、それらは ひかり と同義である。

さて、知識は教えてもらえば済むが、わかる(理解する)ためには知るだけでは足りぬ。

わかるまで考え抜くと決めよ(わかるまでは何時までも何処までも考え続けるのである)。

わかったことをやり抜くと決めよ(できるまでは何時までも何処までもやり続けるのである)。

それが、担うと決意するということである。

 

そのときツルギに  ひ  がはいる

 

ふるいませ  ヒカリノツルギを  ふるいませ

ふるわば  み  はたらき  たまいませ

その  い  をもちて  まのくびきを  たちきりたまいませ

 


 

お分かりのことと思うが、本文の記述は次の内容に対応しているはずである。

(引用はじめ)

シンロジーマガジン 神知と人知

新・神知と人知9(二千十八年九月五日)

二千十八年八月二十九日(水)二十時十三分から

<99.9>

情報戦(情報線)のカギ

ここを切り

新しい宇宙をみちびけ

すべては <99.9>によって 支配されている

(みおや)

(引用おわり)

魔の軛(くびき)は、世の中に網の目のごとく張り巡らされている。それは魔に属する情報体の一種でできており、人と人との間に架けられる。敏感な人は、街中を歩いているだけでも、人とすれ違うだけでもその存在を感じるだろう。広告やマスメディアの情報を目にするだけでも感じるだろう。

それは人の認識を操作し、意識活動や行動を操り、闇へ闇へと人を誘い(いざない)続ける。

意識の相(層)が低いうちはその存在に気付くこともままならないが、浄化と上昇の熟達などによって意識の相を上げられるようになると、ありありと認識できるようになる。ご存知のように、わかる方にとっては大変不快なものだ。

これを断ち切り、絶ち祓うのである

そうすると、魔の意識体は人と人をつなぐ(ネットする)ことができなくなり、人への影響力を失う。それは現し世での力を失うということであり、あちらこちらでネットを切りまくられれば、それは滅っせられるということに近い。

それを成しうるものは、精神学の示すところの
最終知識 と ヒカリノツルギ をおいて他に無いではないか。

その存在を感じられるならば 切れる

逆に言えば、感じなければ 切れない。そして、感じるということは、ナイーブということでもある。日本人のナイーブで傷つきやすい気質が武器となる日がきたのである。なんと喜ばしいことか。貴方も私もナイーブであることをやめる必要など、全くなかったのである。

 

いざ、ひかりのものとして情報戦に参戦なさいませ

情報「線」を切りまくりなさいませ

その「線」こそは、魔の軛なり

 


 

【具体的な事例】

精神学を学ぶ者にとっては常識であるが、マスメディアは“ ニュース ”という名のもとに邪悪な情報思念を撒き散らしている。まるで世の中を汚染することを重要な任務のひとつとしているかのようである。

つい先日のことである。「女子高生コンクリート詰め殺人事件」の犯人があらたな殺人未遂事件を起こし逮捕されたというニュースが流れた。

言いたいことはたくさんあるが、事実だけを書く。

このニュースに触れた妻は一種の心理的外傷(PTSD)を受けた。

その症状は、

● こと有るごとに凄惨な事件のイメージが脳裏に浮かび気分が悪くなる。

● 関連する単語などを目にすることも恐ろしくなる。

● 漫然とした不安を感じ続ける。

というものであり、精神的・肉体的に様々なかたちで機能の阻害を受け、明確に能力の低下がみられた。

我が妻に魔の軛(くびき)が架けられたのである。許さぬ。

ここで、想像してみて欲しい。魔の軛がどのように機能し、どのような作用を持ち、魔のものにどのような利益をもたらしているのかを。

それは呪いの如くに作用し、魔のものに立ち向かう気力を失わせる。弱いまま抗うこともできず、愚かなままで賢くなることもできず、未来を切り開くことなど出来るはずもない、という自己認識を育て続けさせる。

『それは人の認識を操作し、意識活動や行動を操り、闇へ闇へと人を誘い(いざない)続ける。』

抗うことができなければ、その先に有るのは、強き者に支配されその者に奉仕し、そのオコボレに与る(あずかる)ことを良しとする奴隷の如き人生。

間違った方法で立ち向かえば、暴力に頼るようになる。特にマネーの力が暴力であることは失念しやすい。本人に自覚がなくとも、努力すればするほどにマネーのもとにつくられる序列を強化することになり、魔のものに利益を供給し続けることになる。この病が進むと最終的には支配者になることを目標とするようになる。自分より弱き者の存在を内心喜び、その上に踏み登ることを望む人生。

これでは魂の成長など望むべくもない。まったく忌々しい限りである。

それでは、と、魔の軛を断ち切ってみることにした。

それまでは、自分自身に架かる魔の軛をヒカリノツルギで切り祓ったことはあったが、それは私自身の小宇宙内部に限定されたことだと考えていた。よく知る身内とはいえ、他人に架かる魔のものを断ち切ることなどできるのか。

そのとき、できるはずだと感じた。なぜかそう確信している私がいた。

神格あるものにつながり、意識に浮かび上がるノリトを小さく唱える。

妻の周りに線を描くように、ヒカリノツルギをくるりと振るった。

一瞬にして魔の軛が断ち切られた。

一太刀で何の抵抗もなく、あっけないほど簡単に断ち切られた。妻も明快に自覚できており、その精神が急速に回復し始めたことが見てとれた。

その後、経過を観察したが、同様のニュースを目にしても気になることはなくなった、とのことである。一度断ち切ったものはそう簡単にはつながらないのかもしれない。

これは、最終知識に記されている 精神の免疫 と関係があるのではないかと考えている。

 


 

オマケ

【聖別のレシピ】 

『蒸し枝豆』 ※美味しい上に聖別水を無駄にせずに済む。オススメ

用意するもの
● 枝豆1袋
● 聖別塩 もしくは SEKI塩(希釈OK)
● シンキングソルト
● 聖別水
1.枝豆は両端をカットし、SEKI塩で産毛をこすって洗う(普通の塩でもOK)
2.フライパンに枝豆を敷き、
  枝豆が少し見えるくらい(高さ1センチ程度)を目安に聖別水を入れる
3.蓋を少しずらしながら中火にかけ、聖別水が飛ぶまで蒸す
4.ざるに取り、熱いうちにシンキングソルトをかけて出来上がり
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聖別水で蒸すと、枝豆のうまみや甘みが引き立ちます