Vol.773

到達したのは仮想の時空

この人間社会の問題の根幹にある、神というものの正体を探求するための私の旅も、終わりに近づいているらしい、ということは、すでに報告した通りです。
そして、どうやら、この二千二十一年の八月に、いまの地球が存在する時空というものが、ユダヤ教徒たちが長年、思いを込めてつくり出した、カバラという言葉のエネルギー結界に、閉ざされているという知に、到達したと結論づけることができました。
なぜ、この世がカバラ的時空かというと、いまのユダヤ教徒にとっての神は、最後の審判をする存在ではないからです。そして、いまのこの世は、このカバラを長い年月に渡って、つくり続けた人間グループの企画した通りに動くものになっていると、指摘することもできます。この私に与えられた神知で、歴史を説明すると、イエスはエルサレムのマネーをコントロールする人間グループを告発し、当時のエルサレムの民衆は、イエスの十字架に同意しました。その後、キリスト教社会のもとで、ユダヤ教徒は、抑圧されるのですが、その抑圧を自分たちの特権であった金利というものを扱う技術で、はね返していくことになります。さらに、いうなら、このカバラ的発想からイデオロギーというものも生まれました。
なぜなら、今日的なカバラというものは、イエスを神の子として認めない、つまり、自分たちの先祖の行為を正当化するために、人間の頭の中でつくり出されたものだからです。そのための論理的出発点として、自分たちのみが神に選ばれたもので、他の人間は彼らがいうところのゴイム、という動物のようなものという選民意識をつくり出したということです。それを人間の頭だけで、つくり出すことができたのか、他の意識体の関与があったのかは、これから解明されていくことになるのでしょうが、こうした人間の集団がつくり出した思いのエネルギーが、西欧文明というものの出発点にあるのです。この視点から見ると、資本主義も、民主主義も、さらには、共産主義も、この思いのエネルギーから生まれていることになります。
さらにいうなら、近現代の科学というものも、このカバラ的思いのエネルギーによる、この宇宙の再発見に過ぎないということになります。たぶん、ここに、科学が神を証明できないという理由だけで、この世が、無神論に傾斜していった理由があります。そして、このタイミングで、それまでは、他の民族も科学の最先端の業績に貢献していたものが、急激にユダヤ系の頭脳が、世界の大学や研究機関の中枢を占めるというムーブメントが起きたようなのです。
無神論で、宇宙が解明できるこの時空こそが、カバラ的な仮想宇宙だというのが、現時点での私に与えられた神知の到達点だということになります。
この物語を知ることが、神の子である現行人類が、この時空の中で生きている理由なのです。
さらにいうなら、その物語を神の子である人間が読み解くためには、この宇宙の内部にある神の姿は、人間の外部にあってはならないのです。
精神学の出発点は、この地上に大昔からある、人間は、ミクロコスモスであり、そのミクロコスモスの内なる神性が覚醒しない限り、人間の外側にある、神とのコンタクトも生まれないということでした。そして、覚醒した人間が、この物質宇宙の中をどれだけ探査しても、最後の審判を行なうべき神は存在しないということも、精神学が人間界に伝達している知識です。さらに、覚醒した人間の祈りは、この宇宙という限界を越えて、真の神に伝達されるらしい、という知識も精神学が伝えているものです。そして、ここに到って、ブッダの覚醒があり、挿入されたイエスの十字架というものが、この宇宙の開闢の秘密に到るものだというところに精神学は到っています。その中で、特に重要なのが、現在のこの人間社会というものの時空をつくり出しているのが、一部の人間集団の思いのエネルギーだということへの認識なのです。それが、サイバー空間の闇や仮想通貨の闇というマイナスのエネルギーのもとにあります。その時空に裁きの光が到る時、何が起きるのかを、私たちは目にすることができるのです。

二千二十一年(神紀元年)九月二日 積哲夫 記

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