審判の先へ

精神界のデータによると、聖書の神の物語は、すでに、ほとんど完成されていて、あとは、この世の側で、最後の審判というものが、現実に進行することを、多くの人間が知るタイミングを待つだけです。
精神学が、これまでお伝えしてきたことの本質は、いまある地球の姿は、聖書という言葉の神が、どうやって、約束をはたすのか、という物語の先にも、次の精神界の物語はあり、その時空の扉が開かれるためには、聖書の約束である、最後の審判というものが、行なわれなければならない、ということです。
その最後の審判の、その日その時、とされるタイミングは、神ですら知らぬこととされてきました。
神ですら知らぬことを、達成するために、神の容器である人間の覚醒と参加がどうしても必要なのだということを、精神学は人間に知らせているのです。それが、救世主というのは、少なくとも、ひとりひとりの小宇宙の救世主となるのは、その救世主の到来を待つその人自身だということにほかなりません。
人間世界で、この知をブロックしているのが、最後の審判後に、裁かれて、この世から去らなければならない、意識体が使っている人間グループで、それらは、この世の支配者のグループとほぼ重なります。それは同時に、聖書の神が、否定している、金利を取る経済の仕組みをこの世の支配の道具に使う人間グループとも重なります。
イエスの神は、彼らがイエスを殺したものたちであることは知っていても、その人間グループをコントロールしている意識体の正体を、これまで知りませんでした。彼らの正体を、宗教的な言葉では、悪魔とか、アンチ・キリストとかいってきましたが、それもまた、その正体を隠すために使われてきたようなのです。
この二千二十一年に到って、彼らの正体が見えてきたことによって、最後の審判が、現行人類の文明の転換のために現実化するタイミングが来たというのが、正しい時代認識なので、その主役は、アメリカ人というわけではないのです。
日本列島は、かつて、この地球上に神として存在していた意識体の逃避先として用意され、その神と神々のデータは、かつてはやまと言葉で、今日では日本語という言葉のエネルギー体として保存されています。これから、この世界の多くの人間が、神界語は日本語になったということを知ることになります。
その出発点になるのが、これから精神界と人間界をつなぐためにイコンシールをはたらかせるコマンドが、日本語ということです。
精神学協会の古い会員なら知っているように、天から授けられたはたらきを持つオイルや水のような聖別されたモノが、きちんと機能するためには、闇のデータ系のエネルギーの学びの期間が常にありました。
いま、精神学協会に授けられている、イコンシールというものにおいても、それらのことが進行しており、それは、サイバー空間における光と闇の戦いを反映したものとなっています。
その準備期間の最終段階に、いまある、というのが私の認識で、これが済むと、イコンシールのはたらきは、天の意志を映したものになるはずです。
これまでのところ、イコンシールは、それを使う人間のたましいのなかにある神性、あるいは、光と闇のデータに呼応したものであることが判明しました。これが、自分という小宇宙において、審判を達成した人間と、まだ、審判を知らぬ小宇宙に生きる人間では、作用に差が出る最大の理由でしたが、これこそが、私にとっては最大の学びとなったのです。
地球の神は、審判というものを知りませんでした。その日、その時は神ですら知らぬという言葉の意味は、文字通り知らなかったからなのです。
その審判のメカニズムを知らせている唯一の知が、ここにあるのです。
そして、聖書の物語が、精神界において、ほとんど終了しているこのタイミングで、精神学協会に授けられている光というものが、人類、あるいは人間のたましいを、審判の先へ導くものだということを開示することが許されました。
この知によって、日本列島と北アメリカ大陸に用意された、神の物語は、完結するステージに移行することになるはずです。その発動は、たぶん、もうすぐ、三月になります。いまは、その知をお待ちください。

二千二十一年(神紀元年)二月十八日 積哲夫 記