Vol.682

原爆とシベリア抑留

この二千十九年十一月二十九日に、中曽根康弘元首相が百一歳で死去されました。
実は、その夜、私のもとに、奇妙なデータが届けられました。どこで、どうリンクするのか、いまのところ判然としませんが、たぶん、中曽根元首相が語ることのなかった戦中、戦後の秘史のようなものと思われます。
その夜、突然に現れたのは、旧ソ連邦が原爆を完成させるまで、シベリアに抑留された日本人の帰国はない、という話で、そこに、シベリアに抑留されていた大本営参謀の瀬島龍三とアメリカCIAのエージェントだったとされる読売の正力松太郎と、中曽根康弘元首相が、何らかのルートで、戦時中の、日本の陸海軍による原爆開発のことを知っていて、戦後の日本を潜在的な核保有国とするために、活動したという告知でした。
敗戦近くになって、帝国陸軍が三十八度線まで引いたことで、旧ソ連軍は朝鮮半島北部に急速に侵攻し、そこには、ほとんど無傷の帝国陸海軍の原爆開発計画の施設が残されていました。結果として、旧ソ連邦は、千九百四十九年の八月二十九日に初の原爆実験を成功させます。
日本海軍の原爆実験が、千九百四十五年の八月十二日とされていますから、それから、四年もの歳月を要したわけです。
大日本帝国は、原爆を完成させることはできましたが、それは、昭和天皇の意に反するものでした。結果として、大日本帝国が原爆を使用することはありませんでしたが、その原爆開発計画と福島県は、不思議と結びついていて、その福島県に、二千十一年の震災に伴なう災厄としての原発事故を起こす、アメリカのGEが開発した沸騰水型軽水炉を採用した福島第一原子力発電所が千九百七十一年より稼働することになります。
私の認識によれば、これらの事象の積み重ねがあり、広島、長崎に続いて、福島で核の被害が生じたことは、日本の核をめぐる一連のストーリーが日本史全体のなかで、いまも進行中であり、それこそ、最後の一厘の仕組みの一部だということになります。
昭和天皇は、東条英機首相と杉山元陸軍元師から、原爆開発とその使用に関する奏上を受けた時に、人類破滅の引き金を日本が引くことになるとして、それを禁じたと伝えられています。そのことを知って、千九百四十五年の八月十五日に発表された、終戦の詔書を読めば、歴史の真実を発見するはずです。すくなくとも、その時期、日本民族は、滅亡の直前にまで追い込まれていて、アメリカの支配層も、その民族浄化の意志を持っていたと推測できます。
敗戦後に、私たちが教育されてきた、多くのことの背後には、そうした歴史の真実を覆い隠すための巧妙な工作があり、その結果として、古代から現代に到る日本人の民族的な歴史には一貫性が消滅しているのです。
これらのことが、いまという時代に、明らかにされていくということこそ、歴史という闇に光を当てるというはたらきの結果なのです。そうした光を当てるという行為を、ある明確な方向性のもとに実行しているのは、生きている人間というよりは、精神界であり、精神界からの光は、死んだ人間たちの霊的データすらも活性化して、それを受容できる能力を与えられた生きている人間を通して、この世に伝達しはじめています。このはたらきがいま、急速に進行していて、私が感じているのは、審判の前には、死者たちが復活するという予言、または、約束の現実化です。
この日本列島をめぐる、中国やロシア、そして、北朝鮮という核保有国とアメリカとの力関係の変化によって、このままの動きが進むと、日本にだけは絶対に核保有を許さないとしてきたアメリカの姿勢にも変化が生じる可能性が高くなっています。その先には、日本を核武装させる日が来ると信じて、原子力発電所をつくる努力をした昭和の政治家や経済人のはたらきの再発見があり、そこからしか、日本の未来のための国際戦略を考えられる知のプラットホームをつくる人材の養成ははじまらないというべきなのでしょう。
昭和天皇の知を、みこころとして、考える国民こそが、このクニのたからなのだと気付いてください。

二千十九年十二月五日 積哲夫 記

 


 

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