Vol.676

日本の滅びの道

このクニは、無神論者を首相にすると、天神地祇の怒りをかって、天変地異に襲われるらしいということが、千九百九十五年、一月十七日の阪神淡路の大震災と、二千十一年の三月十一日の東日本大震災という経験によって、すくなくとも多くの国民の無意識領域には刷り込まれました。
東日本大震災の災厄のなかで、このクニの未来を決定するような事象であった福島の原発の事故は、やはり、東日本の生死を分けるような重大なリスクを伴なっていたことが、最近になって、徐々に情報として漏れ出しています。それは、四号炉の危機で、あの時、日本中の龍神たちが、原発の地下で何をしていたのかを、私も知ることができました。
四号炉が天佑としかいいようのない奇跡の連続で、崩壊しなかった結果、このクニは、いまの姿でいられるのです。あの時に四号炉に最悪のことが起きる可能性は、きわめて高く、もし起きていたら、東京を含む、東日本はいまごろ無人となっているはずです。
いままでの日本というシステムは、天皇という祈りの元首を戴くことで、この火山地震列島の危うさを、回避すること、つまり、地を鎮めつつ人間が住まわせていただくという、天、地、人の調和を優先することで成立していたのです。
ところが、人間の欲望が、神の御神体である日本列島上を覆い、その土地も、人間の所有物として切り分けてしまうという、とんでもない行為を明治以降の百五十年以上、続けてきた結果が、いまの日本の姿です。いい加減にそのことに気付かないと、日本列島という御神体は、暴れることになるというのが、私が知らされていることです。
日本列島に人間が住んで、縄文以来の文明を築いてこれたのは、天と地の契約があり、天の神界にたましいのルーツを持つ人間たちと、地の神々のたましいを受け継ぐ人間たちとが、ひとつの民族として、この日本列島発の神の意志をこの世に示すという目的があったのです。
いまのこのクニに、生きているほとんどの人間に、その目的意識はありません。それに代わるものとして、この世に溢れている日本人の意識は、自分の人生の期間が、安楽に過ぎますように、という願望というエネルギーにほかなりません。
そのような民が、自分の身体を切り刻んでいることを、地という神格が、いつまで許すのでしょうか。
この十月十二日から十三日にかけて、静岡から東北に抜けた台風十九号は、私には、それに対する警告だったとしか感じられないのです。あまり、いい表現ではありませんが、現在の東京政府は、日本の天神地祇の信認を失ったというのが、私の理解しているところです。
このままでは、日本というクニは滅びの道に進んでいくことになります。
その滅びとは、この日本内で無神論による人間優先社会をつくろうとする西洋型、または新しいアジア型独裁政権、または、政体を現実化しようとする人間グループによって、もたらされるのだと、私は信じています。
日本列島は、最後の一厘の舞台として、西洋の悪魔の手に委ねられた、というのは、そういうことなのです。
日本の教育から、神話が消され、日本人のアイデンティティを語るだけで、歴史修正主義者や差別主義者のレッテルを貼る異常な言論空間に、多くの日本人が無反応になっているということは、日本列島の人間の姿をした悪魔の支配が完成に近づいていることを示しています。
私は、いま多くの日本人に否定反応が強いと思われる悪魔という言葉を使っています。この世界の近現代史を、神と悪魔、光と闇、という二つの精神的エネルギーの対立として、検証してみるということができるなら、この世では、すでに悪魔が九分九厘の勝利を収めていることも理解できるはずです。
すでにこの世は、そこまで来ています。トランプのアメリカが、とか、習近平の中国が、とかいう政治や経済の覇権争いの先にある未来もまた、このままでは、ほぼ同じ悪魔の支配する地球の姿でしかありません。
日本の明治以来の近代化の負の遺産を、これから、どうやって清算していくかが問われているのです。この問題を解決しない限り、日本列島が御神体であり続けることはできません。その先には、アメリカ大陸やハワイ王国が、もともと、そこで住んでいた民族のものでなくなった未来が待っているのです。
もし、そうなったら、神々もまた、この地を去ることになります。すくなくとも、私は、そんな日本列島には住めません。

二千十九年十月二十四日 積哲夫 記

 


 

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