Vol.671

科学技術の新時代

この九月二十一日、東京の馬喰町にセキ・ギャラリーがオープンします。そのテーマは「芸術が神を思い出す日」です。そこで最初に展示されるのは、聖別された半導体がつくり出す、天上の音楽です。
精神的エネルギーの存在を否定する人間は、次の時代の科学技術のパイオニアにはなれない、ということが、その芸術と化したオーディオを聞いたものには納得がいくはずのものになると、ここでは書いておきます。そして、なぜ、音楽でスタートするかというと、ルネッサンス以降の近現代の芸術というものは、美術という視点をはずすと、音楽の方が先行して芸術領域を拡大してきたという見方ができるからです。
私は、青年期からずっと音楽家の頭の中で鳴っていた音楽というものを、一度、追体験したいものだと、考えてきました。バッハやモーツァルトの頭の中に降りてきた音楽は、どう考えても、天上のどこかから直接インプットされたものという印象で、人知の延長上にある創造性とは無縁のもののように思われたからでした。その作曲者に降りてきた音楽が楽譜というメディアを通して、演奏家に託され、演奏家はその人なりの解釈で、改めて、音の流れとしてこの世に解き放つわけですが、その音はその演奏家の精神性にリンクしているという印象でした。そうした限界を超えて、天上の音に近づく一歩がここからはじまるはずだと私は考えるのです。
その出発点はいうまでもなく、これまでの精神学の歩みであり、私の行動です。
そこで今回は、私がこれまでしてきた神業の過程で、ある時から、カメラを与えられ、何かを感じたところに向けてシャッターを押してきた結果の写真を、「神写」と題して展示することにしました。見る人にとっては、それらの写真は、地上に開かれた精神界の扉として感じられるはずのものです。なぜ、それらを展示するかというと、その映像は、地上の神性あるものと私のコンタクトの記録だからです。
ここで、近現代のほとんどの芸術作品は、神を否定する側の人間にとってつくられてきたということを思い起こしてみてください。二十世紀において、人間の意識とアートとメディアは、この世界を無神論に染めるために結託していたといってもいいのでしょう。
今回の展示では、聖別されたトランジスタという無機質における変化を音として実感した人間は、論理的帰結として、精神界の関与が物性に変化をもたらしたという現実に向き合うことになります。それは、人類史上における、科学というものと技術のルーツとなってきた西欧文明の終焉と、神を知る日本文明がそれらの科学技術の継承者となることの証でもあります。
現実には、いまの日本列島において、次世代の科学技術を担う頭脳が育つ環境があるといえませんが、現在のアメリカがキリスト教という一神教の文明の到達点を示していると考えれば、その知の伝統を次に受け継ぐのが、アメリカという国家の西へ進むという法則性からして、日本列島であるというのは間違いのないところでしょう。
そのアメリカの国家という仕組みを超えるような組織体として、GAFAと呼ばれるようなサイバー空間のプラットホーム企業群が現われ、それらはアメリカの西海岸を出発点にしています。こうした知の創造性を、日本列島で開花させるために、日本神界がつくり出した仕組みが、いま発動中であることを示すのが、今回の展示目的でもあるのです。
無神論を信奉している多くの人間にとって、この歴史的意義は理解できないでしょうが、実は、この時空というものの法則性として、いちどオープンにされてしまった知の領域の扉は、二度と閉めることはできずにこの世は、次の時空に移行していくのです。そこで、現実を認めない人間たちは、過去のものとして居場所を失っていきます。いま生きている日本人は、その歴史的時間に立ち会っているということなのです。
芸術の話にもどしますと、神を見失っていたヨーロッパの美術の世界に救世主として現われたのは、遠い日本の浮世絵に代表される美的感覚でした。それよりも、もっと大きなインパクトが、これから日本発ではじまるとしたら、あなたは、その創造に参加したいとは思いませんか。
この九月二十一日に馬喰町にお集まりの方は、たぶん史上はじめての何かを体験されるはずです。

二千十九年九月十九日 積哲夫 記


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