Vol.650

大変

いま日本列島における、新しい時代への対応のために、精神界全体の再構築が進行中です。それは、どうやらこのクニの古代から今日まで続く、精神史の再発見でもあるらしく、神や神々といった存在のほかに、これまで仏界という領域にいた先達というか先覚者たちのたましいの覚醒とこの現世へのはたらきかけの開始を伴なうものです。その原因は、実は明治の時に起きた廃仏令によって、神と仏を分離した結果として生じたこの日本列島の結界の綻びにあります。
このままでは、この日本列島全体がご神体としての存在意義を失う可能性が高く、いまの日本社会の精神状況は、その綻びを反映したものというのが、すくなくとも私の認識でした。そのことは、上層の精神界においても認識を共有していたらしく、この問題を解決するために、仏教伝来から今日までの仏教の名を借りたユーラシア大陸の宗教的な知の系譜といったものを、それらの知の継承者であると同時に、日本の神々によって使徒として使われた仏僧のはたらきを、復活させることで、新しい結界を結び直そうとしています。
具体的には、奈良の大仏建立に関係した宇佐八幡の神的伝承とは別に、若狭の地と奈良の地を結ぶ、ユーラシア大陸のさまざまな宗教的知識が、仏教の名のもとに導入されていた背後にある白山神界の関与の再発見があります。
白山神社の神は、石川県の白山本宮にあり、千九百九十一年のリンゴ台風で倒れた三本杉が、イザナギ、イザナミ、シラヤマヒメと称されていたように、この日本ではアマテラスやスサノヲに先立つ神として認識されていました。
神話的にいうと、イザナギとイザナミによって、日本列島が生み出され、日本の神々のほとんども、そこから生まれていますが、白山シラヤマヒメは、それ以前から存在していた神格なのです。神話に記されていない神界の秘密でいうなら、シラヤマヒメは、ムスビのちからをつかさどる存在で、その関与なしに、たとえば、人間のたましいは、人間という物質世界の存在のかたちのなかに留まることができません。さらに、黄泉のクニから逃げ帰るイザナギとそれを追いかけるイザナミの仲介をしたとの伝えもあり、そこから考えると、死後の世界にも関与する存在だということになります。
いま、この世に残っている白山信仰は、このシラヤマヒメが、若狭に生まれ、奈良で仏教を学んでいた泰澄という仏僧が白山を開山したことにはじまるとされ、その泰澄が奈良の平城京の危機を救っています。
この白山神界こそ、実は世界の白きやまやまを結ぶ、地球規模の神界ということを理解すると、伊勢のアマテラスが日本またはヤマト朝廷にとっての最高神という、いわばローカルな神格だとしても、それを守り続けてきた意味がわかります。
それらすべては、日本の仕組みなのであり、その最終段階の現在は、次のステージのための準備をシラヤマヒメが、その影響下で育ててきた日本の仏教結界、または、仏界と呼ばれるエネルギー層にあるデータを歴史の再構築のために、人知の側に移そうとしているらしい、と私には見えています。
精神学協会には古くから仏界の代表として、空海が参加しており、また、レビ族の関係で道元の参加もありましたが、泰澄とその弟子筋の参加によって、日本の山々と、神社仏閣のこの列島を守護し、覚醒させる人知の領域へのはたらきかけが強化されていくことになります。
日本の歴史において、仏教伝来というものは、明治維新における西洋の近代科学と同様の、世界の最先端の知との遭遇でした。
その仏教を学んだ優れた人材に、日本の神々は、関与し導き、今日まで続くシステムをつくったと考えてみてください。日本文明が、科学というものに出会って、ほぼ百五十年が経過した今日、その科学を学んだ優れた人材に、改めて、日本の神々が関与するための準備が、いま進行中のことなのです。
この二千十九年に入って、私の頭には、くり返し、シンロジカル・サイエンスという言葉が降りています。精神学的科学というものの時代がはじまると、無神論者がつくってきた科学では到達できない知に人間は到ります。また、それなしに、無神論者と共産主義者がつくってきた、いまの日本の絶望的状況は改善されないのでしょう。途方もなく大変なことを、日本列島上で実行している存在の一部に、私たちの先祖の人間が参加していることを知れば、理想のために生きることが無駄でないことがわかるはずです。

二千十九年四月二十五日 積哲夫 記