ノートルダム炎上
ある意味で、パリの象徴でもあったノートルダム聖堂が火災で、大きな被害を受け、ヨーロッパの文明の先行きを暗示するかのような反応が、各階層から出ています。そのなかで特長的なのは、ヨーロッパのファッションビジネスを代表するLVMH、ケリング(旧PPR)、リシュモンという巨大企業がこぞって、巨額の資金を再建のために寄付すると発表していることだと私は認識しています。
いまでも多くの日本人が価値あるものと信じているルイ・ヴィトンやグッチなどのインターナショナルブランドのほとんどを所有するのが、これらの巨大企業であり、その文化的背景は、古くはフランス革命から続く、ファッション文化の大衆化という歴史の流れの中にあり、フランスやイタリアという国家がEUのなかで存在感を示すことのできる産業分野でした。その価値が、揺らぎはじめていた、この世界経済の減速期に、なぜ、このようなことが起きたのかを考えてみると、これは、世界を植民地化した西欧というものの歴史の終わりを示唆しているとしか思えない事象です。
かつて、このクニで西欧列強と呼ばれていた、ヨーロッパの植民地を経営していた国家群のなかで、その思想、イデオロギーの背骨を形成していたのがキリスト教でした。
そのキリスト教の結界が切れたことを象徴するのが、EUの各地域へのイスラム教徒の移民の増大であり、決定的ともいえる事象がローマ・カトリックの総本山であるバチカンを震撼させた枢機卿のセックススキャンダルの事件化でした。
これらのことは、一連の宗教の時代が終わるためのムーブメントなのですが、その先にあるのは、ヨーロッパの人々にとっての悪夢である、西洋の没落の現実化です。
この世界を分割し支配してきた西欧の歴史の出発点にあるのは、それを神がお認めになった、というキリスト教のドグマであり、それはまず、スペインとポルトガルによる世界分割というところからスタートしました。しかし、その覇権は長続きせず、次はイギリスに、そして、新興国のアメリカにというように、世界の支配権は国家間を移動してきました。ところが、この国家間の覇権争いとは別に、西洋の世界進出を支えた資本主義のシステムは、当時の東インド会社といったものが、その後も存続し、いまも、この世界をコントロールするだけの影響力を保持し続けています。そうした勢力のルーツは、金利を認めない、キリスト教やイスラム教の文化圏のものではなく、イエスの前の時代の宗教といえるユダヤ教にあるというのが、歴史を知るものにとっての常識なのです。
長く国を持たなかったユダヤですが、千九百四十八年のイスラエル建国によって、この一神教の歴史に終止符を打つべきプログラムのようなものが発動し、いまあるこの世界は、その最終段階に入っています。
ところが、この世界を人為的にコントロールして、自分たちの支配を継続させたいと願う人間グループもいて、そうしたものたちは、聖書の予言を地上での戦争状態として現実化することを目指しています。
その最大の武器となるのが、実はマネーなのです。そのマネーをめぐる人間の意識が、これから問題になるというのが私の認識で、実は現行のマネーの価値をつくり出したのは、キリスト教的なドグマだとすると、次の時代には、そのキリスト教的な思考から解放されたところから、新しいマネーの発想が生まれるというのが、私の行動を支えている未来の知ということになります。
何がいいたいかというと、いまある国際的なマネーの秩序というものは、東インド会社から一貫して続いている収奪のシステムなのであり、近年の中国共産党の世界覇権への挑戦という行動も、そうした初期の暴力的な資本主義の行動に学んだものに過ぎないということです。つまり、いまの世界のマネーのシステムで、この世界が平和になることはありません。
それは、キリスト教文明の宿痾なのです。
この宗教の時代を終らせるために、キリスト教徒が待望しているのが、イエス・キリストの再臨であり、最後の審判の成就なのですが、それらのことの準備をしてきたという神界の記録が、この光文書だということが、やがて、わかる日がきます。
今回のノートルダム炎上は、その日が近いことを示しているのかもしれません。
二千十九年四月十八日 積哲夫 記