Vol.643

大乱という希望

イエスの十字架からのほぼ二千年間、ユーラシア大陸の東のはずれにある日本列島には、常に、人間が流れ込んできました。東へ東へ、太陽の出る方向へと人間は、移動してきたわけです。その日本列島に、約千三百年前に、一神教の問題を解決する唯一の方法を、一神教が神と呼ぶものよりも、上位の神格が関与して、日本国という神話を持つ国家が用意されました。その後、時代は流れ、ヨーロッパから西に進出し、南北アメリカを征服したキリスト教文明は、その地域の先住民の多くを殺し、征服した土地の経営のために、アフリカから奴隷を入れるという選択をしました。これらの行動の出発点にあるのは、すべて、マネーを求めるという動機にほかなりません。そこで、スペインとポルトガルという、古いキリスト教文明国が南米大陸を、イギリスという新教といえるかどうかは別にして一応カトリックではないキリスト教国が北米大陸を支配し、そのイギリスから独立した新興国のアメリカが、西に進出をはじめました。この時点での世界地図は、日本列島と朝鮮半島とユーラシア大陸の東側にあった清国という地域以外のすべては、ヨーロッパのキリスト教国の支配地域であり、植民地であったわけです。
なぜ、ヨーロッパの列強といわれた国々と、アメリカ合衆国のみが、そんな支配力を持ち得たのかを考えてみると、そこには白人による世界支配を正当化する偽りの科学ともいうべき考え方が存在していました。
その根拠になったのが、キリスト教の考え方であり、聖書という書物です。
白人が、神から選ばれた人間なのだということです。けれども、一神教の出発点となったユダヤ教では、ユダヤ、イスラエルの民のみが選ばれた人間で、その発想から生まれたタムルードなどの書が伝えている価値観では、それ以外の民は、奪ってもいいし、殺してもいい存在とされています。
歴史を正しく学べば、現在の世界は、このユダヤ系の文化のなかのタムルード的価値観によって行動する人間グループが、金利を取っていいとされた人間世界での差別を逆手にとって、マネーをほぼ独占し、この世の多くを買ってしまった結果の姿だということがわかるはずです。
中国共産党が信奉しているマルクス主義というものは、このマネーが世界を支配していくことに反対の立場であるかのように多くの人間が誤解していますが、その説得力というか、影響力の原点にあるのは、現在の人間の多くが持っている妬みの感情なのです。そのことを後世の人間が理解するために、聖書には、旧約の神そのものが、「わたしは妬むものである」と宣言していることが記されています。
ここで、私がいつもくり返している、精神学は宗教の時代を終らせるためにあり、その知の出発点には、日本列島に置かれた神と神々の情報があるのだということを思い起こしてください。
一神教の文明圏の世界では、この知は、人間の意識に上がることすら不可能なことがわかるはずです。
いまの世界、つまり、この二千十九年の世界を、精神界がどう見ているかというと、マネーで地球を買ったかのように思えたある種の勢力の存在が、それ自身の強欲によって、崩壊していく過程に入ったという視点なのです。
わかりやすくいうと、中国共産党は、その強大化を支えてきたエンジンであった経済成長という幻想の正体があきらかになるにつれ、莫大な債務のために日本の経験以上のデフレ圧力にさらされます。アメリカは、同様に、リーマンショックからの回復に使われた莫大な政府のマネーの処理の過程で、ここでも成長という幻想が失われます。さらに、EUでは、ブレグジットといわれるイギリスの離脱の影響で、ドイツ経済のひとり勝ちの時代が終わります。つまり、この世界はこれからマネーの大乱の時代に突入します。
いまの日本の経済システムの現状を考えるなら、そうした時代の最大の被害者に、またこのクニがなるはずです。しかし、そこに希望があると私は考えています。この世界を幻想のマネーに売り渡してしまった人間たちが、覚醒すれば、ひとりひとりが借金というマネーの暴力に支配されて人生を終えるような不毛な生き方から解放される道がそこに見えているからです。私は、この三月七日、六十八才になりましたが、ここにきてはじめて、世界がマネーから解放される日が来るのかという、私の思考テーマの回答が、やはり精神界に用意されていたことを確認した気持ちがしています。

二千十九年三月七日 積哲夫 記