Vol.641

妬むものの暗黒面

この二十一世紀に入って、イエスの十字架上の死から、一貫したテーマを人類は、その歴史に刻んできたという、精神界からの情報を人知の側からもアプローチすることが可能になりつつあります。ここの部分がわからないと、私がお伝えしている、精神界の意志もわからないのですが、それは、ユダヤの民の価値観についてです。
私が、これまでくり返しお伝えしているのは、アメリカのFRBが純粋の民間銀行に過ぎず、ドルはアメリカ政府のものではないということです。
そして、近代における植民地主義と資本主義の出発点にあったのは、東インド会社という株式会社であったということ。さらに、奴隷貿易の商人とされるものの多くは、ユダヤの改宗者であったこと。また、悪名高いアヘンの取引の利権も、同じグループのものであったということ。その出発点にあるのは、金利を禁止しているキリスト教およびイスラム教の文明圏において、唯一、金利を取ることを許されたのが、ユダヤ教徒のユダヤ人であったということです。この一神教の歴史からもたらされた、マネーによる世界支配のシステムに、世界で唯一、いまのところですが、抵抗力を持っているのが、日本文明であるのは、この問題を解決するために、千数百年前から神と神々が、日本の仕組みというものを用意していたからにほかならない、というのが私の知る神知です。
私が、その目的のために、この日本は、悪魔に捧げられたクニになっているというのは、同じユダヤの民のなかから生まれた、近現代を動かす思想が、マルクス主義であり、このクニの知識人と呼ばれた多くの人間が、それを進歩的であり、科学的であると信じた結果が現在、あらわれているからです。
よく知られているように、カール・マルクスの家系はユダヤ教のラビであり、改宗したとしても、その価値観は受け継がれていたはずです。その思想はというと、科学的というより、妬むものがこの世を支配することを正当化するものにほかなりません。結果として、国際共産主義運動は、暴力革命を目指しました。そして、共産党が政権を得た、国や地域では、それまでの支配体制とは異次元の大虐殺がくり返されたのです。その理由は簡単で、彼ら共産主義者は、死んだら終わり文明の体現者であったからです。無神論者、唯物論者というのは、目的のために反対者、抵抗者を殺すことに何の躊躇もしないことが、歴史的にはっきりしているのです。
これが、いまの世界です。
世界のマネーをコントロールしているのも、国際金融資本家といわれるユダヤ人脈であり、この世は、すでに、宗教、または、一神教の影響力の外にあると考えた方がいいのです。もっと、はっきりいうと、宗教の世界に意識を留めておくと、この世界の真実は一切見えないということです。
私が、日本の精神界の総意として、宗教の時代は終わったということを宣言しているのは、そこに留まれば、また敗けるからにほかなりません。
ここまで書いてくると、私が、この日本列島が、いま進行中の最後の審判の主戦場であるという意味が、おわかりになる読者が増えるはずですが、もう、一神教の世界は役割を終えているのです。
残念ながら、善良な人々の信仰では、悪意あるグループの支配システムを理解することも、克服することもできないのです。現実に起きているのは、宗教的な信念を利用して、対立を煽ったり、動乱を起こしたりという、何者かの目標につながるような謀略の数々です。
それこそが、妬むものの暗黒面です。
この「私は妬むもの」であるという旧約聖書の神と称するものを克服しない限り、現行の人類の未来はないといってもいいのです。
それを克服する知識を、すでに人間は与えられているのですが、多くの日本人はそれに気付くこともありません。
その理由は、教育が、まさに唯物論という妬むものの暗黒面を人間の頭の中にインプットするシステムに委ねられ、それに加え、日々、マスメディアが、さまざまな情報を操作し、洗脳を強化するはたらきをしているからです。このまま死ねば、多くの日本人のたましいに行き場がないのです。

二千十九年二月二十一日 積哲夫 記