審判の容器

たぶんこの二千十九年の二月から、人間は審判の容器である、という私がお伝えしてきた情報の意味が、何であったのか、ということがわかる時代がはじまります。
実は、この宇宙の生命進化というものは、ひとりひとりの人間の小宇宙をほんとうの容器として、約束された天国と地獄をつくるためにあったのかもしれない、と推測しえる事象を私は感知しつつあるのです。
宗教は、その場をつくり出すために重要な役割を担っていたともいえます。どういうことかというと、いま進行中の最後の審判というのは、神または神々の子らのこの世における学びの結果として、次のステージに進むものと、そのまま一種のブラックホールに投げ込まれるものとに分ける仕組みのようなのです。
日本人のたましいは、ここで右と左に分けられ、別の並行宇宙に進みます。つまり、最後の審判とは、この物質宇宙のはじまりのように、ある種の特異点なのであり、そこから先は、まったく別の因果の地平がある、この宇宙の目的そのものなのです。
光の存在は光の宇宙に行くベクトルを授けられ、闇の存在は闇の宇宙という場に向かう運命を与えられます。
最後の審判の容器として用意された、この二十一世紀に生きる日本人のたましいに、もはや転生の機会はないというのも、これでわかるはずです。
日本以外の地球の精神的な場は、いまも、スサノヲワールドなのであり、そこでは、一神教の神の物語による宗教的な学びを人間のたましいは経験させられます。
その日本以外の世界の現状を、私は、右の悪魔と左の悪魔の最終戦争と呼んでいますが、その段階の終了後、この世界全体が、いまの日本の立場に移行するはずです。
つまり、この世界の人々もやがて、審判の容器となるわけです。
この仕組みによって、最後の審判が進行するということは、最後の審判を阻止するために、人間世界を支配し続けることを目標としてきた悪魔、またはアンチキリストの勢力にとって、彼らが乗り物としてきた人間の身体という容器が、ブラックホールのように脱出不能なものに変化することを意味しています。
これからの日本で、この仕組みが実行されることになります。たぶん、多くの日本人が、私がこれまでお伝えしてきた、生きても地獄、死んでも地獄という状況で、死に到るはずです。行き場のない彼らの小宇宙というべき、エネルギー体は、ほぼ同じ波長を持っている生きている人間の体内に蓄積していくことになります。つまり、ひとつの人間集団は、ひとつのブラックホールを形成し閉ざされるという運命に到るのですが、これは、これまであった宗教結界の内側に死者の霊が蓄えられ、最後の審判の日を待っていたというこれまでの精神界の法則の延長にあるものです。
このように、いま進行中のことを考えていくと、戦後の日本において成功し、このまま豊かな老後の先に死を迎える人間グループは、ある意味で、このクニの闇のエネルギーを集め、処理するという役割を担っていた可能性があります。もちろん、それは、いい意味ではなく、あの敗戦も天の配剤であったとするなら、その後の歴史において、さまざまな人間グループが敗戦利得者として、権力や富を得たことで、その欲望という闇を増大させたことも最後の審判の用意としては、ある種の神謀であったらしい、ということです。
いまの日本は、歴史上あり得ないほどの拝金主義に満ちています。
それは、いまの共産党の中国で生きる人間が、金を求めるのとは、別なのです。神なき中国では、死後の世界も、この世の延長上にあると考えてきた歴史があり、そこでは死者にもマネーを与えなければ子孫の役割ははたせないという発想があります。先祖が死後の世界で豊かに暮らしていただくために、現世の人間もマネーを求めるのです。死んだら終わり文明の代表ともいえる、中国共産党が、この中国人の死後の世界観を克服し、永続的な支配権を確立するのは、これから一気に死に直面する老人が増えるあの国では無理です。いまの日本は現世のマネーへの欲で滅び、共産党の中国は死後世界のマネーへの欲で滅ぶというのが、この先のどんでん返しの本質なのではないかと思えるほどなのです。

二千十九年一月三十一日 積哲夫 記