Vol.634

運命の年

この二千十九年は、日本とこの世界にとって、大きな変革、または、意識の覚醒への道が整う一年になりそうです。
具体的にいうと、昨年までの期間で用意された、新しい日本人のためのたましいのモデルとして、これまでこの世にはたらきかけてこなかった神格が、日本史のなかから復活、または、創出されるはずです。
私が知るスケジュールだと、二千十九年三月三十一日までにそれらのことが成就すると、日本というクニは、ほんとうに新しいステージに移行することになります。
その根拠は、昨年末の十二月二十二日の冬至の日に、私が石見物部神社で神界のプログラムを実行したことにあります。
よく知られているように、島根県の石見物部神社と奈良県の石上神宮と、三重県の伊勢内宮は、一直線に並んでいます。また、茨城県の鹿島神宮は、同じく伊勢の内宮から、石見物部神社と同距離にあり、東西に翼を広げた形に配置されています。今回の神業によって、これらの用意が、日本列島上に置かれていたのは、人間の知が記紀のストーリーを理解した後に開かれる日本史の闇の部分をあきらかにするためだということがはっきりしました。
物部氏は天孫族であり、もともと石上神宮でフツノミタマという神剣を奉じた祭祀をしていたのも物部一族だったとされています。
今回のモノノベ・イセ・カシマのラインに光が宿ることによって、日本の神道の闇が表に出ました。それは、歴史を調べてもらえば誰でもわかることですが、日本の神々が、いま使われている、神道のノリトを神界語として認めていない最大の理由が、藤原氏というか、ある時期に成立した中臣神道にあるということがはっきりしたのです。
藤原氏の氏神は、春日大社であり、そこでの祭神は、タケミカヅチ、フツ、そして、アメノコヤネとヒメガミです。つまり、東方の鹿島、香取の剣神界の神々と、天の岩戸の前でノリトを奏上した祭祀長ともいえる神格をルーツにするということです。
その場で、私が理解したことは、日本の歴史において、藤原氏というものが本来、天皇のものというか、天孫族のものであった、天の神々の代理人としての地位を奪ったらしいということです。
この歴史的な簒奪をあきらかにすることで、このクニの神社の結界が結び直されることになるというのが、私が到った知であり、それによらずして、このクニが正しい覚醒に到る道はつくれないもののようなのです。
何度も私が経験させられたことですが、神理の扉は、開くべき時までに、人間の側が正しくはたらかなければ、開くことはありません。
今回のことで、日本の歴史は、また、正しい知識へと近づくはずです。
そして、こうした日本の歴史を知ることで、全世界の真に神を求めている人間の覚醒がはじまるのです。
二千十九年は、地球上において、自分たちは神の子であるということを信じる人間グループと、死んだら終わりと信じる無神論者の人間グループの文明的な対決がはじまる年になります。その最先端に位置するのが、この日本列島なのです。この記念すべき年の年頭に、初詣をされた多くの日本人のなかには、いままでとは違う気配を神社のなかに感じられた方も少なくないはずです。
その直観を信じてください。日本の神々は、いま生きている日本人に怒りつつ、絶望しつつ、同時に、はたらきかけも強めているのです。
この二千十九年が、日本人の覚醒の年になることを祈ります。

二千十九年一月一日 積哲夫 記