Vol.633

無神論者の死後

この二千十八年も間もなく終わりますが、後世、歴史家はこの年を転換点として記述することになるでしょう。多分、今上陛下の意志というより、上位の何者かの意志で、平成の世は三十年とされました。私が、このはたらきに引き出されたのは、一千九百九十一年、つまり平成三年ですが、昭和という激動の時代の次にきたのは、表面上は平和であっても、日本という国家の本質的な危機との対峙であったと思えます。
この期間、日本という国体を、この地上から消し去ることに異常な執着を示した人間グループが、アメリカと日本国内から、半島と大陸へと大きく勢力を伸長させました。これらの人間グループは、共産主義者という無神論者であるかどうかは別にしても、戦前の日本は悪、というプロパガンダを信じ込んだもののようです。なぜ、こんないい方になるかというと、それらの人間グループのなかには、キリスト者であったり、仏教者であったり、というように、無神論者ではないであろうと推測できる人間も多く含まれているからです。
平成の世の期間は、バブル崩壊後の失われたとされる停滞の期間であり、経済成長率は、ほぼゼロパーセントでした。その経済運営の失敗は、ほぼアメリカの日本潰しの政策要求のせいであったということも、やがて歴史家によって、あきらかにされていくはずです。
その期間、日本の経済的役割を担うべく育てられたのが、まず半島の国家であり、次は大陸の国家でした。
その経済のための技術を出し、資金も出したのが、この日本国の平成の姿でした。私は、人間的知識として、そのリスクを知り、警告してきたつもりですが、バブルの前も、その後も、誰も聞く耳を持ちませんでした。結果として、いまの日本は、最先端の技術開発競争の主たるプレーヤーではなくなっているという現状を、ファーウェイという中国企業の役員のカナダにおいての逮捕という事件で多くの国民は知ることになりました。つまり、平成の世
とは、日本人自身が、衰退への道を選ばされ歩んだ三十年であったのです。
そして、この道を選んだ主役こそ、戦後の教育によって生まれた団塊の世代という、これから死に直面する日本人のグループなのです。
共産主義者が歴史的に国家を乗っ取る手段は、社会的不平等や格差を問題とする人間グループに寄り添い、協力者のように振舞いながら、やがて運動全体を支配するというものですが、それはこの日本でも例外なく実行されています。
内にも、それらの人間グループがあり、外からの、たとえば中国共産党の中日友好の合い言葉による工作に呼応してしまう人間グループがあり、というのが、現実の日本の姿なのです。この状況は、日清、日露を戦わざるを得なかった明治の日本よりも、はるかに危機的だと知るべきです。
アメリカを使って、日本に勝利した人間グループが、それらの背後にいて、彼らの戦略で、日本には失われた三十年が与えられたと考えてみてください。アメリカという国家もツールだし、いまの共産党の中国もツールだという世界です。
いまの世界は、その覚醒の方向を目指しています。フランスの大統領が、誰の代理人であるかを、フランスのデモの参加者は知っている可能性があるということです。
選挙によって勝利したアメリカの大統領が、フェイクニュースをたれ流すマスメディアと戦っているという現実は、世界最強の軍事力の総司令官である大統領よりも大きな力を持つ人間グループが存在していることの証明でもあるのです。
私は、その人間グループが、無神論者のふりをした悪魔教の信奉者のグループであるという精神界の情報を、この世に伝え、それこそが、聖書に記された最後の審判への道だと示しているのです。それが日本の仕組みであり、日本の役割だとういうことです。この知識を公開した時点で、すでに聖書の歴史的役割は終わっていると、冷静に考えることができる人間ならば理解できるはずです。この物語は、実は平成の御世に進行したのです。つまり、このムーブメントに参加していない世界は、過去のまま時間が停止しているということです。日本のマスメディアの人間の意識と時間は、その状態にあると考えてみてください。その延長上で、無神論者の死後を考えれば、人間は審判の容器であるという私がお伝えしている神知の意味がわかります。

二千十八年十二月二十七日 積哲夫 記