Vol.628

日本国紀という本の先にあるもの

発売前から、予約が殺到し、初版で三十万部、発売日に重版で十万部追加という日本国紀という本が、この先、何部まで伸びるのかで、いまの日本の精神的状況が普通の人間にも、あきらかにされていくと、私は考えています。なぜかというと、普通の人間が、この日本国紀を読んで、「最終知識」を読むと、私がその書を記した本当の理由がわかるはずだからです。
古事記と日本書紀は、約千三百年前に、この日本に置かれました。その背後に、この情報を人間世界に置いておくべきという精神界のプログラムがあったというのが、「最終知識」の出発点といってもいいのでしょう。
つまり、一神教の時代、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という宗教の時代に終止符を打つために、この地球の主宰神たる神格が、日本列島にプログラムを置き、日本史というのは、そのプログラムの発動にほかならないというのが、「最終知識」の主旨だからです。
明治維新といわれる幕府の崩壊以後、大日本帝国と自ら名づけた国家が、西南戦争という武士階級を戦争の主役としない内乱の経験をへて、日清、日露の戦いに勝利するまでは、日本の神々もその戦いに協力していたという情報は、大本教の歴史などを調べれば誰にでもわかります。
その後、日本の神々が、大日本帝国の政府を見限り、沈黙をはじめるのが、一千九百十年の朝鮮併合というタイミングであったということも、いま、半島の人間が日本に対して起こしている行動を見れば、納得のいくことのはずです。
古事記と日本書紀は、白村江の敗北という歴史的な事件なしに記されることはなかったし、その時から今日まで、日本列島の神々の立場は、一貫して鎖国を国是としている理由が、この場所のみが、世界で唯一のナカツクニ、つまり、地上世界と天界との中間に位置しているという主張にあるという根拠の証明が、日本史だということも、これからわかる人間が増えていくはずです。
つまり、私が、二千年以来、お伝えし続けてきた、縄文人という世界でいちばん古い土器の文明を持っていた、人間グループの直系の子孫が、日本人なのであり、このDNAの情報がきわめて重要なために、天皇というものが、万世一系というストーリーで存在し、そのスタートを紀元前六百年頃に置くということも、人知が正しく世界史を知ったときに、整合性を持つように仕組まれているという、神の仕組みを証明することが、これからの日本人にはできるということなのです。
それを妨害し続けているのは、明治の日本が信じた西洋の近代化の根拠になった科学というものの一面性であり、その最悪の継承者である唯物史観というものから派生した、いまの日本の教育にほかなりません。
日本国紀という、読み易い、普通の日本人のための一種の通史の登場によって、これまで、封印されてきた、日本人のたましいのなかにある、真実の歴史への探求心が呼びさまされることで、過去に光が当たります。
精神界は、そういう時代がくることの用意として、たとえば、大東亜戦争の英霊とされるたましいや、西南戦争の薩軍のたましいなどを復活させてきました。それは、死人は口なしという、これまでの人間世界の常識とは違う、時空にこの日本列島が突入したことを示しているのです。
この日本以外の場所では、歴史というものは、いまという時間を支配する人間グループによって、記されるものです。当然、そこには書き換えも生じます。ところが、この日本列島では、過去においてもそうしたことは起こり得なかったし、これからは、死者たちの記録が精神界の光のデータに加わることで、もはや不可能になるのです。
この光のデータの完成なしに、最後の審判も起こりようがないことは、どんな人間でも考えればすぐにわかることです。
自分たちの歴史の価値に日本人が目覚めることで、世界は変わりはじめるといってもいいのです。

二千十八年十一月二十二日 積哲夫 記


【いままで隠されていた文書の再公開/霊性時代Vol.22】 

光の宇宙という概念

この物質宇宙で、生命活動という現象は、ほとんど奇跡のように地球で誕生しました。そして、この地球の生命は、そのDNAの進化プログラムによって、物質宇宙の全体像を認識し、理解するだけの能力を持った人間という存在に至っています。その人間の脳は、言葉によって、急激な進化をとげたところまでは、すでに異論のないところでしょう。そして、現在でも、その脳の持つ潜在的な能力のほんの数パーセントしか使うことなく人間は生きています。
ここから先は、ほとんど哲学的な思索の問題です。
現代文明によって、人間の脳は、その活用する領域を増加させたのでしょうか。顕在意識は間違いなく強化されたでしょうが、より多くの情報が顕在意識にのぼるようになったわけではありません。人間の脳はある種の生存本能によって、顕在意識、あるいは自我といわれるものの優位性を損なうような情報の伝達を遮断するシステムを持ち、それはいつでも、どこでも、機能しています。
この遮断システムを石器時代の人間よりも、古代文明の人間よりも、はるかに強固にすることで、現代人はこころの安定というものを自らの内側につくり出しているのです。それは、残念ながら、脳の活用領域を増大させる行為ではなく、縮小させるものでしかありません。
生命活動をするDNAには、絶対的な進化のルールがあります。それは、あらゆる可能性を試す多様性と、活用できるものは無駄なく使うという効率性です。
いまの人間が、自分の脳にしいていることは、それらの法則性に反した抑圧だと考えられないでしょうか。
人間の脳は、現代人が考えるよりも、はるかに巨大な可能性を持っていて、光の宇宙という概念は、この脳の潜在能力を活用するという進化のプログラムを想定することによって、はじめて理解できるものなのです。アインシュタインではありませんが、神がそんなことをなさるだろうか、と自問する創造的な思考の対象だといってもよいのでしょう。
精神界では、いまこの人間のかたくなな意識を検証中です。
3月9日には人間の脳を、神知の側から検討された情報が、ある人物の口述という方法で、私のもとに届けられました。今回は、その全文を掲載しておきます。これらは、光の宇宙からの情報の一部です。
3月10には、<みことふみ>も届きました。そして、3月11日には、新しいプログラムを示す、<みおや>さまの歌も届いています。かたくなな貝をどうすれば開かせられるのか。言葉が光を失った時代の人間の脳と、精神界はどう関係していくのか。
象徴的にいうと、人間は、オメガポイントを突破できるのかどうかを、いま問われているのです。


人間の脳は、
ある種のマット、防壁で プロテクトされていて、
それらにさまたげられて、情報は…。
人間が生物として生理機能を維持する情報系
生命維持システム、コンピュータのようなもの
大量の放射、流入する情報のなかから、
自らにとって好ましくない、拒否するもの
外側にあり、その第一段階で、1/7.1/8.1/10に減少する

プロテクトするものが、情報として植え込まれている
その情報に値するものを 受付拒否

脳下垂体を中核とし、統合的なはたらきをつかさどっている
脊髄と脳をむすぶ脳幹

松果体のはたらきが、脳下垂体と連携
受容と排他すべきものの選り分けを統括

海馬という原始的部分 生命体としての本質的な役割
胡桃の殻のごとき人の脳
強固な受けいれることを拒否する自我で プロテクトされている。

その全はたらきを最大限に利用すれば、
核爆発規模の物質の変化さえも不可能ではない。

正しき開発のされ方がなされていないため、
普通の人間(の脳)が活動しているのは、
3~7%。それ以外のところは使われていない。

大脳新皮質は、大量の情報の蓄積が可能なはず。
億をこえる細胞の結合バランスがとれているものは、
中枢となる司令部分
情報を統括することが可能

収束される脳をもつ人間が、情報内容を解析できた場合、
別の場所、次元や時空での情報さえも キャッチ可能

光化学スモッグのにごった大気から、羽虫一匹を見つけることも可能。
それらはどこに、どんな状態で存在しているのか。
時間と空間で判断できる可能性を人間の脳は知っていることを 
知る人間はほとんどいない。
それは日々の生活といえるもののなかでしか 生きていないから。

今日の科学、生命科学といわれるものでは、
そこまでの解析は不可能。膨大な時間がかかる。
解析できる資料、実体(実証)がいまはない
1立方体の大気に含まれる情報さえも解析することは可能
海馬のはたらきが軸となる。もっとも原始的なはたらき

脳という器官をすべてのパーツパーツでの情報伝達が可能になれば、
知ろうとしている情報の解析、アクセス可能。

ズイといわれる軸のようなものが、根幹となるはたらきをしている。

潜在能力を阻害しているのは、顕在意識。
その顕在意識がプロテクトしている。
大防壁、マットのような役割をしている。
本来ならばむきだしのパルス信号のような電気信号を 
受けいれない役割を果たしている。
なぜならば、その壁がないと、あらゆる情報が入ってきて、
対処ができないため。

松果体の未発達のものと、発達しているものとの違い。
ある程度の防護壁をまとっていないと、膨大な情報を処理できない。


―以上の言葉は、ある人物が平常な状態で、複数の人間の前で口述したもの。

2006年3月13日 積哲夫 記