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Vol.621

人の世の最後の一厘

明治維新を、なぜ長州の人間グループが実行したかの秘密が、とりあえず私のもとには届いて、安倍政権は、あと三年という余命を与えられました。
ところが、現実の日本の姿は、このままの状態では、何も変わることなく、いままでの利得者の権益がそのまま維持される可能性が高くなっています。その利得者とは、霞が関の官僚グループであり、国民の財産である電波を不当に安く使用する利権を握るマスメディアの人間グループであり、というように、この国のディープステートとでもいうべき、実質的な支配者です。彼らの上に、アメリカのディープステートや国際金融資本家のグループがいて、日本国は私がいうところのアメリカの属州であり続けています。
しかし、アメリカという強大な国家が、その通貨発行権を民間銀行のFRBというものに与えた歴史的経過を、アメリカ人も知りはじめ、日本人も知りはじめ、結果として、トランプという大統領と、安倍晋三という内閣総理大臣が、それぞれの国のこれまでの主人に奉仕しないようなことをはじめています。
世界のマネーをコントロールしてきたヨーロッパとアメリカの金融資本は、本来ならば、リーマンショックといわれた事象で、破産したはずなのですが、政府の無限の資本供給によって、その資産をさらに増大させました。
つまり、いまの世界の国家は、マネーの所有者たちの道具のひとつに過ぎないことが、このことによって証明されてしまったのです。
そのリーマンショックの時に、成功したのが中国共産党の経済政策でした。その国家体制が、世界の金融システムに連動していなかったがために、政府は無制限ともいえる支出によって経済を支えることができました。
その成功によって、中国共産党のなかに、アメリカの経済覇権に挑戦するという野望が、たぶん予定より早く目覚めてしまったのです。アメリカ国内においてマネーを使って増やしてきた、中国共産党に協力的な人脈も、このアメリカの覇権を狙うという目的を知ると、反中の姿勢に次々と転じるようになり、米中貿易戦争はどんどんステージを上げる方向に進んでいます。そこには、中国共産党と利害を共有していたはずの国際金融資本家の影が、ほとんど見えなくなっています。つまり、アメリカという国には、愛国者のふりをしないと自分のマネーを守ることができないような精神的風土が、いまでも厳に存在しているというべきなのです。アメリカ人の多くはナショナリストであり、グローバリストは一部であるということです。そこから、トランプという大統領が生まれました。
なぜ、こんな動きが生じたかを、精神学的に説明すると、西南戦争の薩軍の死者たちが復活した後、彼らがどこを目指したのかを思い出していただければ、わかるということになります。
薩軍のメンバーは、たぶん英語が堪能だった村田新八親子を中心に東京を越えて、一気にワシントンのアーリントン墓地に行って、自分たちの血が流された理由を、アメリカ軍の死者たちにも伝えたのです。
それによって、南北戦争から今日までのアメリカ軍の戦いが、誰のためのものであったのかを、彼の地の死者も知ることになりました。
これによって、普通のアメリカ人の潜在意識に変化が生じ、アメリカ合衆国の主人は自分たちではないかという、覚醒がはじまりました。それまで、アメリカの世論を形成してきたマスメディアに対して、フェイクニュースという言葉を使って、挑戦した人間が大統領になったということは、金融を握り、メディアを握り、資本家という名で全産業を支配下に収めるという、いまの社会の支配者となった表には出てこない人間グループの歴史的な敗北なのです。
この戦いは、実は精神界で起きたことの地上への反映なのだと私は認識しています。そうしたなかで、余命三年となった安倍晋三という内閣総理大臣が、日本国の再生のために、この国のディープステートと真の戦いをはじめるのかどうかを、天は見ているとここには書いておくことにします。
いまの政権の政策は、精神界が求めている、鎖国への回帰ではなく、グローバリストの利益になるようなものばかりですが、それが憲法改正という目的のための選択なのかどうか。さらには、この国には、合わないことがはっきりした消費税の増税ということになれば、選挙で選ばれた政治家が霞が関の軍門に下るという、日本の民主制の崩壊を歴史に記すことになり、安倍内閣の天命も尽きることになります。そう考えると、日本の運命は、来年の参議院選挙までには決まるともいえるのです。さて、人の世の最後の一厘は、どのように展開するのでしょうか。

二千十八年十月四日 積哲夫 記


【いままで隠されていた文書の再公開/霊性時代Vol.15】 

神人になりませんか。

2006年2月11日に、新しい時代の幕開けが宣せられることになっています。今回は、その内容の予告です。
「最終知識」は、すべては理であるということをお伝えするために書かれました。理ということは、合理的思考をする人間ならわかるということです。私は、神知の側からお知らせする立場にいます。人知の側からは、どこまで知ることができているのか。
アメリカでは、ノーム・チョムスキーという人が、人間の言語と脳の関係を深く研究しています。日本でも、中沢新一という人が、レヴィ=ストロースの業績を引き継ぐかたちで、古代からの精神史的な考察を続けています。わかりやすく説明すると、人間の脳は、新石器時代に急激な進化をとげました。これは、人間が言葉を持ったからです。人知の側では、人間が言葉を発明したと考えるでしょうし、私の側では人間が言葉を与えられたという説明になります。この頃、人間の脳は、自然のスピリットや神々とのコンタクトができたと、人知の学の立場でも認識するようになっています。その後、神々との関係は、一神教という唯一絶対神という圧倒的な宗教的なエネルギーによって、絶えることになりました。人知の側の考え方によれば、地域や部族を統一する過程で、地のスピリットを次の文明をもたらした神々が殺し、その神々を一神教の神が殺したということになります。その一神教の神も、科学というものによって殺され、いま、人間の脳は自己再発見という過渡期にあるということになるのです。これは、人知の学の到達点です。
「最終知識」は同じことを、神と神々の側から伝えているのです。ただひとつ違うのは、神や神々は死ぬ存在ではないということでしょうか。死なないけれど封印されてきた、というのが、神知の側の伝えるところです。そして、その神と神々の封印がとかれて、人間とともにいる時代がきますよ、というのが、審判というプロセスののちにくる世界のモデルなのです。
<みおや>さまというのは、人類の言葉の原型ともいうべき<みことおや>、つまり言葉のもとたる神格です。すべての物語は、言葉がなければ生まれることもイメージされることもないのです。私の理解によれば、チョムスキーという人は、人類の言葉がある共通の母体を持っていると知っています。神知の側で、それは<みことおや>つまり、言葉の親を意味する名で呼ばれていると人間が知るときこそ、人間と神と神々との再接触がはじまる…。
三千年断たれていた接触ですが、人間もまた神の子、<みおや>さまの子なのです。人間の意識と、神と神々の意識が接触し、ともにはたらく場が、人間の脳なのです。そのキャパシティをいまの人間の脳が持っていることは、すごいと思いませんか。私はやはり、途方もない物語だと感じます。

2006年2月10日 積哲夫記