Vol.620

江戸狐

この二千十八年の九月二十一日に、私は、東京の湯島天神の摂社である笹塚稲荷と天三火伏稲荷という稲荷社を訪れました。
もともと、湯島天神の場所は、江戸で最古の神社として、戸隠神社があったようなのですが、訪れてわかったことは、どうやら、ここが江戸の神社結界の中心のようでした。ところが、江戸幕府を開いた時に、天海がつくった結界や、明治維新の後につくられた新しい神社結界とはどうも無縁だったようで、人間世界の意向で、天神社を名乗った後も、この場を守っていたのは、神々の眷属たる稲荷社の狐だったらしいというのが、私の得た情報でした。
なぜ、このタイミングなのかというと、どうも、江戸というか、東京の危機がこれから本格化するようなので、江戸狐の手に余るということのようでした。
そこで私が理解したのは、東京大学の知性は、どうやらこの江戸狐を超えることはないという、いまの日本全体の問題を象徴する東京という場の知的限界でした。
明治から今日までの日本の知性を担っていたのが、菅原道真ではなく、その代役の江戸狐だとすると、明治以降のこの国の科学技術の進展のほとんどが、外来の知識の吸収によって成功したということも、私のなかでは納得できるのです。
ほんとうの神格が立っていないので、もともと眷族に過ぎない狐が、必死に神のふりをして働いた結果が、いまの東京をつくりましたとさ。
日本から、新しい時代の何かが生まれないのは、この江戸の結界のためということもいえそうなのです。
もともとあった江戸の結界は、徳川の江戸を守るためのものでした。そのため、新しい皇位に就こうとした平将門の怨霊も使ったのですが、こういう結界は、時代と共に更新しない限り、やがて破られます。明治維新以降の結界も、京都に結界を張り巡らしたような人材のないままにつくったものなので、あの対米戦の開戦からすぐの昭和十七年のドーリットル爆撃隊の侵入によって、あっさり破られました。
京都は千年の都として企画され、それなりの結界に守られていますが、東京はそうではないのです。このままいくと、関東大震災も、東京大空襲も、予告編に過ぎなかったというようなカタストロフが、起きるという印象を、私はその日に持ちました。
いつもいうことですが、すでに大難を無難という人間たちの覚醒による危機コントロールの時期は過ぎています。いまは、大難を小難にするためのはたらきをはじめるタイミングなのですが、このままの日本では、それすらはじまる可能性は低いでしょう。
そこにあるのは、東京大学という特殊な環境で価値観を植え込まれたエリート官僚たちの頭にある財政均衡論という思い込みの高い壁なのです。
政治家も官僚も、頭を使ってはいますが、それの限界が東京の知性をコントロールしてきた江戸狐にあるのだとしたら、いまは、その限界を超えるために、何をしなければならないのかを、考えるべきなのです。そして、その回答は、江戸狐の今回の行動によって、すでに出ているというのも、わかるはずです。
菅原道真がなぜ、京を追われ、九州のどこかで死なざるを得なかったのか、歴史をすこし調べればわかることがあります。
菅原道真は、その知識によって、すでに外国には学ぶべきものはないと理解し、遣唐使の廃止という、国を閉ざす政策に到ったことで、それによって不利益をこうむる勢力の陰謀によって追い込まれ、死んだのです。
いまこの国が置かれているのは、複雑化はしていますが、同じ外国からリスクを受け入れ続けるのか、という、日本国成立以来のテーマにどういう答えを出すのかという精神界的にはわかり切った国難なのです。そして、グローバリストといわれるいまの世界でマネーを握っている人間グループの欲望に応える形で、この国が運営されるなら、この国土は天変地異を起こすという事実です。
阪神淡路の大震災や、地震と津波だけではなかった三月十一日の災厄の時の政権の座に無神論者のグループがいたということは、私にいわせれば偶然ではないのです。

二千十八年九月二十七日 積哲夫 記


【いままで隠されていた文書の再公開/霊性時代Vol.14】 

悪魔の退出と、神々の復権

2006年2月5日、朝と夜に、<みおや>さまの歌が届けられました。朝の歌は、新しい神と神々の世界の準備についての内容であり、夜の歌は、その準備が整いはじまることの告知という内容になっています。ここで、知らせてきたことのなかで、最も重要な点は、「すぎこし」の時代が終わり、神と神々は次の時代のためにはたらくということです。それは、過越しの祭りで知られる、広い意味での聖書の呪縛から、この世が解放されていくことを示しています。その前から、このクニをぶ厚く覆っていた悪魔の想念の結界が、つぎつぎと切られてきたことは、ことしになってからの霊性時代と<みことふみ>でお伝えしてきたとおりです。しかし、聖書の呪縛から、解放されたということは、いままで、ほとんどの人間が気づかずに支配されたり、影響されたりしてきた悪魔の力が、人間の意識にのぼってくることも意味しています。この悪魔の退出のはじまりにともなって、この精神界の大変動のために、生まれ変わり、光の存在となった神々も復権してきます。
ちりぢりになった悪魔のかけらは、人間のこころに侵入しています。お伝えしたように、人間のこころの内側に、これからは、霊界も魔界も見ることができるようになるのです。
悪霊はらいやエクソシストがブームになるのかもしれません。しかし、それははらうだけ、はらってもはらっても、闇のエネルギーはなくなるわけではありません。しばらく、どこかに移動して、また力を強めてもどってくるでしょう。
光の存在になった神々が、人間の味方だとも考えないでください。<みおや>さまは、くり返し、新しいちぎりを結べと伝えています。光は、光の言葉を使う人間だけを導くのです。人間は、神も神々も、だまし続けてきたことを忘れないでください。
その反動は、かならずあらわれます。それは、たたりといっても、神罰といってもいいのですが、現代人が無視している精神界の領域に、そのちからは現実に存在しています。「最終知識」では、知るものへの試練として、それらのちからに、私も同行者もさらされたことが記してあります。それが、聖書の呪縛だったのです。666という数字は、人間をさすものである…。古き神の物語の結界にいる、すべての人間は、その影響を受けています。

2006年2月6日 積哲夫 記

※<みことふみ>には、重要な夜の歌5首を載せておきます。
朝の歌5首は、夜の歌とともに<秘密ファイル>に入れておきます。

※特別追加
2月8日の<ひつくのかみ>の神示と、2月9日更新の1.3.7ホーリーゴーストの不思議なリンクの意味を考えてみませんか。ひつく神示のひを投げるものは、ヴィジョン的には、ニューヨークの自由の女神なのだそうです???