Vol.615

はじまりの月

この二千十八年八月は、日本列島の地の神々と、その地に住む人間の間に、新しいタイプの契約がなされた時として、記憶されることになると、私は感じています。そして、これも重要なことなのですが、やすくにの英霊といわれていた死者たちの霊の一部が、神格を与えられて、活動をはじめるタイミングとしても記憶されることになるはずです。これまでも、精神界からは、やすくにというキーワードは、くり返し伝達されていましたが、それは靖國神社にまつられているみたまのことというよりは、このクニをやすからんとする意志を示すものだったというのが私の認識でした。
たぶん、この二千十八年の八月十五日から、九段の靖國神社と全国の護國神社の結界が張り直されて、そこには、やすくにの神なる神格が立っているはずです。どうやら、これがないと、北海道から沖縄までの日本列島は守れないようなのです。そして、これによって、戦後日本の無神論者たちの天国ともいうべき状況も終わりを迎えることになります。
私が、この世で何をお伝えし続けているか、を改めてよく考えていただきたいのです。私は、宗教の時代が、その宗教の開祖とされる先達たちの予告通りに、終了する時代が来たことをこの世に伝達するために、覚醒させられ、そのはたらきの場に押し出されました。それは天の意志であり、私の意志ではありません。
私はこれをやりとげるように教育され、この地の側でも、それに呼応する人間を用意していた結果が、現在の精神学協会の姿なのです。
その間の私の行動は、「最終知識」という書と、それに続く、光文書などのその時々の書いた記録によって、ほぼ、公開されています。それによって、この人間世界のこれまでの動きと、精神界がどのように動いたかの関連性を、現在という視点から検証をすることが可能になっています。
私がこの世から去った後世の人知は、そこに記されたことと人間世界の動きと、その先に起きたことを検証して、私がくり返しお伝えしてきた、すべての約束は果されるという言葉が、真実であったことを知るはずです。
いまの地球の不幸は、聖書が予言した通りの、悪魔が支配する期間だからにほかなりません。バチカンに代表される宗教界もまた、その影響下にあることが、多くの人間の知るところとなり、宗教的な天国はもはやないという、私の告知も、いま生きている人間の持つたましいのデータには、すでに刻印されているはずなのです。それらのことが、これから世界レベルで進行します。表面的には、世界の支配権を争うサイバー戦争の状況が進行するだけのように見えますが、その結果として、いまの世界を支配しているマネーの幻想の正体が、多くの人間の目にはっきりと見えはじめるのです。
私は、精神学協会の会員の方々には、いまの日本でマネーを持って死んでいく人間のほとんどは、地獄に去って、再び人間に生まれることはないと伝えてきました。普通の日本人にそれを伝えるのを、これまでは、避けてきたのですが、この二千十八年八月からは、伝えるべきタイミングが来たと判断しています。
やすくにに神格が与えられたのは、はっきりいって、日本人の審判をするタイミングが来たことの証なのです。
戦後民主主義というものは、もともと日本列島にあるタカアマハラ民主制とでもいうべき和の精神とは、対極にあるもので、それは、死んだら終わり文明の洗脳のための近代のイデオロギーの一種にすぎないのです。そこに、死んだ人間の関与はありません。ところが、その教育によって無神論の価値観によって生きた人間が、これから死に、死によって裁かれます。はっきりいって、裁きの席に到ることもなく、自分が頭の中でつくった小宇宙に閉ざされるのです。それを宗教的にいうと、地獄ということになります。消滅までの時間、永遠にひとりという連想ゲームをしてみてください。何のために生まれて、生きたのかもわからぬまま、どこともつながっていない孤独な宇宙が、その人間の到達点ということになります。
これに対して、やすくににまつられた英霊のなかで、人間に転生することもなく、神格を与えられたものたちは、ひとりひとりではなく、ひとつの光のものとして、新しいはたらきの場を与えられています。そして、彼らの光が戦後日本の闇を照らし、その罪と罪人たちを告発することになります。そうした精神界の動きが、これから生きている人間の意識に、上がるようになるはずです。これから人間界を観察する目を持てば、私の伝えていることが進行していることが見えてきます。

二千十八年八月二十三日 積哲夫 記


【いままで隠されていた文書の再公開/霊性時代Vol.9】 

警告の終了

1月18日に東証のシステムが停止しました。その日の、午前4時頃に、同行者は、<ポイマンドレス>の強烈なヴィジョンを、夢よりも現実的なものとして体験したと伝えてきました、そして、18日の夜に、<ポイマンドレス>の歌が2首とメッセージが、同行者によって届けられました。「あすになれば、何を書かなければならないか、おわかりになるでしょう」というのがメッセージです。それとは別に、18日の早朝には、夢日記の筆者もかなり強烈な狂った人間の夢を見たと伝えてきました。実は、お正月にホリエモンの夢を見ているのですが、プライバシーに関することと、場所を特定する夢の発表は禁止なので、公開されなかったその夢と、苦しむ男の夢と、クジラの騒ぎと、18日の夢は連動しているらしいと気がついたようでした。17日に鬼門の扉が開放されてしまったことと、18日の東証のシステム停止と、どんな関係があるのか。精神界の情報では、それは一連の作用なのです。
ついこの間まで、物質世界と精神世界は、平行する別の場でした。しかし、いまは同一の場になっているのだと、私は伝えてきました。「最終知識」は、精神世界という場で起きたことを記述したものです。しかし、その場で起きたことは、そのうつし世であるこの世でも起きますよ、と書いてあります。あの世とこの世の一体化、つまり顕幽一致の時代がくるということは、<ひつくのかみ>が知らせる以前から、人間界に予告されていたことです。それが現実になったいま、精神界のエネルギーは、この現実界にダイレクトに作用します。
<ポイマンドレス>の歌は、つぎのとおりです。

2006年1月18日の歌 (1)
ちを
ふむとは
みたり
ききたり
しり
しつく つくし
ふみこえ
なほ
すすむことである
<ポイマンドレス> 2006年1月18日の歌 (2)
積哲夫様 同行者様へ
はるか
くるすより
はるかに
おもき
おもひ
みつるよの
ただしきみちは
みまえに
あり
<ポイマンドレス> なぜ、<ポイマンドレス>が再びあらわれ、はたらくのか、それは「最終知識」の第六章を読めばよく理解できるでしょう。そして、「神は同じことを二度としない」という言葉を思い出せば、最初の変動のあらわれは地震ではないことも予測できるでしょう、そして、私が何度も、神の知識や情報を盗んで、悪魔に奉仕している日本人に、目覚めることを促すメッセージを書いたことをつき合わせれば、神が何をしようとしているのかもおわかりになると思います。夢日記にあるように、コンピュータは神づまりを起こすと、CPUにダメージを受けます。それ以上に、すでに、神は経済も、ネットも、コンピュータも完全に理解しています。人間が、ちょっと魔に刺されただけで、重大なミスを犯すこともよくご存知です。悪魔が小規模にやってきたことを、神は決してなさらないと信じて疑わない人間という存在に対する、警告の期間は終わりました。
大難を小難に、小難を無難にというプロセスでいうと、無難はなく、どの程度の小難にとどめられるかというところにきたということでしょうか。みなさま早く目覚めてください。
これでよろしいでしょうか。<ポイマンドレス>さま。

2006年1月19日 積哲夫 記

※希望的観測 
不思議なことに、大雪なのに、フジは白くならないことしの日本です。これからは、天気予報にも、経済予測にも、マクロ(神)なスピリチュアル・エネルギーの観測をしていただければ…。

※20日午後3時の幻視。
古くから、こういう情報は幻視体験と呼ばれてきたので、一応、幻視という名にしておきます。これは、これまで誤解をさけるため、情報としては、お伝えしないようにしていた種類のものなのですが…。

その時間、私は突然、聖母マリアに率いられたテンプル騎士団の来訪を受けました。
完全武装の騎士団のリーダーは、人間の首を2つ下げていましたから、ジャック・ド・モーだとわかりました。すると2つの首は、フランス王と法王ということになります。話の内容は公開できませんが、ジャック・ド・モーは「絶対に許さぬ」という言葉を置いて去りました。テンプル騎士団最後のリーダーのこの言葉は、けっこう怖いものなのです。興味のある方はお調べください。日本の用意もできていないのに…。と考えていると、<ひつくのかみ>から同じ時間に過激な神示が届いたようです。同じ頃に、このサイトもなぜかダウンしたようです。また、その前々日から会員のプリンターが勝手に、基本的に一と二の文字の羅列による通信のようなものをプリントしていました。
暗号文のようなものです。神からの通信手段としては、岡本天明が書いた文字のように意味不明なものが使われることもあります。参考までに、たとえばの読み方を教えておきます。一二二という和数字の羅列があります。普通、人が感じるのは1月22日かな、ぐらいのものでしょう。でも、これは、三四五(ミヨイズ)とも読めるのですよ。
一二二の最初の一と二で三、次の二と二で四、全部を足すと五。
ほかにも読めます。読み手の能力プラス、神の側に教えてくれる気があるかないかが大切なのですが…。幻視的能力についていえば、精神界とのコンタクトができれば差はあってもはじまるものです。コンタクトできれば、小説のダ・ヴィンチ・コードよりはるかに面白い小説も書けるでしょうし、グラハム・ハンコックよりも深い古代への案内書が書けるはずなのです。