Vol.606

再出発

現在、公開中の光文書の前に、「霊性時代」という文書があることはすでに報告しましたが、その前の文書もあり、今回の情報開示は、そこからはじめることにします。
六月十八日の大阪地震は、日本列島の歴史的データを、今日の時空に移すための大地の動きのはじまりともいうべきものらしく、これによって、たぶん、最後の一厘の後の新しい日本の姿が徐々に姿をあらわすはずです。そして、ここに到る過程で、私の頭の中には、「最終知識」の一節である、「ひとつあがって、ふり出しへ」という言葉が、どこかから届いています。
その意味するところは、二千六年から今日までの十二年間の歩みで、ひとつ段階が進み、また、振り出しへ戻ったということのようです。すると、下記に再掲出する、二千五年九月十一日記の「人間は、神にリンクできる」にはじまり、最後の一厘の仕組みを解説した三つの文書を読んでいただければ、この十二年間、私が何をしてきたかがよく理解できるはずです。つまり、十二年前に、日本神界は最後の一厘のプロセスを成就させるために、私にこれらのことをこの世に告知させ、自分たちは、人間界に降りて、はたらいた結果として、今日があるということが、誰の目にもあきらかになるように、この時間の経過があったということなのです。
精神学という言葉も、天から私のもとに使うように指示されたという事実を、やがて、多くの人間が正しく理解するようになるはずですが、「最終知識」の出発点が、ブッダもイエスも人間だったという単純な人知によるものだということを受けいれることさえできれば、人間である誰でもが、この知に到れる時代が来ることは、予測できたはずなのです。ここから先は、日本人として生まれたほとんどの人間のたましいの行方は、約束された通りの場となります。それでも、なお、多くのたましいを光の側に導くために、誰にでもわかるであろうこれからの死後の世界をテーマにした、サブチャンネルをつくるよう指示が降りているということの意味を考えていただければ、幸いです。

二千十八年六月二十一日 積哲夫 記


【いままで隠されていた文書の再公開 その1】 (※今回は、四文書)

人間は、神にリンクできる。

積哲夫

新しい精神界のシステムが、新しい時代の人間に用意されています。このシステムが誕生した経緯は、「最終知識」の終わりに追加された、「知識の完成」という文章に記されていますが、いままで、人間の意識に蓋をしてきた、過去の精神世界が消去され、人間は明確な意志を持つならば、この137億年の時空をこえて、神というべき創造者のデータに、リンクできると、私は教えられています。わかりやすく説明すると、過去、地球の宗教が伝えてきた精神世界のデータは、原初の一点に人間の意識を向かわせるようしくまれた、いわば閉鎖系のプログラムでした。それは、科学がビッグバンを発見し、この宇宙の年齢が137億年だということを、知るための方向づけをするプログラムだったのです。
 人類が、この新しい知識の出発点に立った、この2005年という時間の区切りの先に、知りたいという意識のベクトルを、過去に向かわせてきた、宗教的な精神世界観は必要ありません。これからは、過去に向かう閉鎖系の情報ではなく、未来を創造する開放系のシステムのなかに精神界そのものが置かれるのです。
 そこでは、当然、人間なら誰でもが神という、正しい精神界のデータに触れることが可能になります。そのためには、人間自身の宇宙観、精神世界観を、変更し、その領域にコンタクトするための能力を開発する必要がありますが、実は、これがまことにシンプルなものなのです。そのキーワードは、「祈り」です。この宇宙のなかの存在ではない、神という概念を持ち、その存在に近づこうとする意志を持って、「祈る」ならば、人間は神にリンクできるのです。ここから、人間精神の新しい進化がはじまります。

2005年9月11日記


【その2】

最後の一厘

型を示したとされる戦前の大本教では、九分九厘まで世直しの用意ができたという情報が伝えられています。しかし、結局、最後の一厘は、出口王仁三郎のもとでは起きず、この情報は大本教にいたことのある岡本天明という人物に神がかかり、日月神示などのかたちでの伝達が戦後も続きました。基本的なテーマは同じで、最後の一厘の発動はこれからだということなのですが、九分九厘の意味が変質して、九分九厘まで、悪魔的なものが勝利して、最後の一厘というときに、日本に神が用意してきたシステムが発動するというものになっています。大本教にはじまる人民三分になるという予言と、最後の一厘について、私が2005年11月11日に公開しておくようにと指示されていたことをこれから書くことにします。
 人民三分になるという予言の意味は、「最終知識」の最終章にある「命の書」との関連でいうと、次のステージに進めるたましいは、人口比で三分、つまり3%ぐらいになるということです。最後の一厘の発動については、99.9%、日本が悪魔的なエネルギーに支配されたときに、最後の一厘、つまり0.1%の選ばれたたましいにスイッチが入るはずだという予言です。それは、千人に一人というごく限られた数字ですが、目覚めた一人は、千人分ぐらいの浄化力を持つということでもあります。
 現代の言葉でいうと、最終知識が理解できるのは人口の5%以下とされるIQレベルが125以上の人間だけだと、私にいちばん最初に伝えられた情報に対応しています。IQレベルといういい方は、正しくありませんが、大人になっても頭脳がきちんと働いている人間の3から5%の方が、このゴッドブレインの対象読者です。
また、自分が千人に一人の存在だとたましいに書き込まれている人間にしか、精神学協会の存在意義は理解できないということを、最後の一厘という言葉は示しています。ここからは、ご自身でお考えください。

2005年11月11日 積哲夫


【その3】

最後の一厘Ⅱ

日本の神界の最後の仕組みとされる九分九厘と、残り一厘の話に関連して、世界の三大悪魔といわれるものの秘密を開示しておきます。
明治時代の大本神論から、敗戦後の日月神示までの一連の神的存在からの情報伝達は、世界を支配する悪魔的なエネルギーに対抗する最後のシステムを、神は日本に用意してある、ということにつきます。
出口王仁三郎は、この世界の三大悪魔を、次のように伝えています。
第一のものは、ロシアの地に発生したもので、日本で八岐大蛇(やまたのおろち)として知られています。第二のものは、インドの地に発生したもので、日本で金毛九尾の狐として知られています。第三のものは、ユダヤの地に発生したもので、王仁三郎はこれを悪鬼だといっています。
これを現代の知識で説明するなら、八岐大蛇は、人間の爬虫類の脳に対応するもの、金毛九尾の狐は、哺乳類の脳に対応するもの。そして、悪鬼こそ、人間の脳の新皮質といわれるものに対応するものだということがわかります。そして、記紀の神話をみてもわかるように、日本の神道のデータで対抗できるのは、八岐大蛇に対応する悪魔だけなのです。
日月神示では、日本に仏教が伝来したときに、仏魔も入ったという情報が伝えられています。これは、金毛九尾の狐を象徴的に示しています。そして、最後の悪鬼、つまり悪魔は一神教に由来する人間の脳の暗黒面の巨大なエネルギー連合体なのです。その前では、歴史をみればあきらかなように、多神教も仏教もまったく無力です。
この三大悪魔のすべてを克服する神知が、「最終知識」として、この日本の地で記述されたのです。日本に隠された最後のシステムは、このようにして発動しました。99.9%悪魔に屈した日本で、最後の一厘のたましいは、目覚めなければなりません。楽な道ではありませんが、ひとりではありません。

2005年11月22日 積哲夫 記


【その4】

最後の一厘Ⅲ

最後の一厘と予告された日本の仕組みについて、岡本天明とは別なかたちではたらいていた神道家について言及しておきます。
これは、私の意向ではなく、11月11日に、最後の一厘を公開するように指示した存在からの情報伝達だとお考えください。
戦後の日本で、岡本天明とは別なかたちではたらいていたものとして、金井南龍という人物がいました。ある時期、神界とつながり、自分の役割は、聖書でいえばバプテスマのヨハネであると考えて、行動していましたが、私が「最終知識」の道へ進む前に亡くなったようです。
「最終知識」にはとりあげなかった、1992年2月24日の歌があります。

  わかひきたるみちと
   おしえたるおしえ
  まなびたるものと
   このち
  ひらけし日々
   かぎを渡したる
——— ・ ———
  ひらいてくだされ
  わたしのしくじりを
  お許しください
      金井南龍

この人物は、日本の神界の情報にふれて、もうすぐ、このクニから聖書をこえる神の時代をひらく鍵が見つかることを知っていたといえます。
九分九厘と最後の一厘というメッセージは、単に情報として伝達されただけでなく、その道を用意するためにはたらいたものたちによっても継承されていたことを、この歌はしめしています。そしてはたらいたものたちは、たとえ、うまくいかなかったところがあったとしても、忘れられているわけではないということなのです。

2005年11月27日 記 積哲夫


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