Vol.601

最後の一厘の死

この二千十八年の五月に入って、精神界の秩序というか、発動していたプログラムともいうべきものが、大きく変化し、どうやら、私が日本の仕組みとしてお伝えしてきた、最後の一厘の仕組みも死に向かっています。
これによって、日本の近世から起きた、金光、黒住、天理、大本および仏教系を含む、新興宗教の役割が完全に終わります。
人間の世が、これによって、どこまで変化するかは、いまのところわかりませんが、精神学協会が二千年に、この世にあらわれて、日本人の意識が、十八年の間にどう変わったかを検証すれば、ある程度の未来予測は可能でしょう。
この地球を、所有することは、何者にも許されていません。
全知全能の神の代理人として、他人を支配し、異教徒を殺すという一神教が、日本列島を征服することができなかったという事実が確認されれば、この最後の一厘の仕組みは成就したということになります。
平成の世の終わりになって、一神教文明の日本列島侵略の手先になっていた、共産主義や社会主義というものを信奉する人間グループが、オールドメディアを事実上支配しているという、戦後日本の社会的矛盾が、誰の目にもあきらかになり、進歩的文化人といわれた者たちが、死の向こうに去るタイミングがきています。
私は、ひとりひとりが小宇宙の救世主として、この世に生まれたという立場ですから、そのひとりひとりは自分が想定した死後世界に閉ざされるという説明をこれまでもしてきました。
死んだら終わり文明とは、死んだら最後の審判の日まで、死んだままという一神教の教えの延長上にあるもので、最後の審判の日まで死人に口なしなので、最後の審判を信じないものには、いくら殺しても罪に問われないという簡単な論理です。一神教の文明圏以外で、この死んだら終わり文明に、親和性を持つのが中華文明で、そこでは王朝の交替期に、民族皆殺しのような歴史がくり返されてきました。結果として、権力を握ったものは、天命を得ているので何をしても許されるという、自己合理性のための精神界秩序を想定してきたわけです。
日本の精神界は、それらの文明を力の支配による「うしはく」ものたちとし、アマテラスの統治は、「しらす」ものであるという本質的な差があるという知を、最低でも千三百年前には、文字のデータとして、地上に降ろしたというのが、歴史的事実としてあるのです。
唯物史観といわれる、戦後日本の歴史学の主流となった歴史教育からは、この日本列島の精神文化史の価値を発見することはできません。結果として、大陸や半島の歴史戦と称するプロパガンダに抵抗することすらできない、幼い歴史観を子供たちの頭に植え込んできたのです。これは、戦前から続く、グローバリストたちの洗脳にほかなりません。
これに対して、日本人のたましいのなかにある、神々のわけみたまの部分が、発動し、やがて、覚醒に到るというのが、私が知らされている最後の一厘の仕組みなのですが、これは、人間が神の子でない限り、起こり得ない現象なのです。
地球上のすべての人間は、神の子として生まれているのですが、この発動が起きるのが、日本列島だけだというのも、私がくり返しお伝えしていることです。なぜなら、「うしはく」国々で生まれた最良の統治システムが、近代の民主主義というものであり、彼らには「しらす」という知を共有するという統治システムは、まだ、未経験なものだからです。
日本人の日本語脳は、この「しらす」という統治システムのなかで育ったもので、その先にあるのは、精神界の情報にもコンタクトが可能な新しい、または、かつて日本列島上にいた人間が持っていたある種の能力の開花によって、約束されたみろくの世を、人間力によって地上にあらわすように情報をインプットされているのです。
いまの日本列島の状況は、そうした覚醒とははるかに縁遠いものですが、最後の最後にくる最悪の事態の先に、どんでん返しが待っているという予告があります。
最後の一厘の終わりは、もしかするといまある日本の死なのです。

二千十八年五月十七日 積哲夫 記


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