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Vol.600

日本の死期

現実の世界が、日本のマスメディアのつくり出す時空間とは別なところに存在していることに、いま、若者を中心にした多くの日本人が気付きつつあるようです。この二千十八年というのは、もしかすると、戦後日本が死んだ年、または、死期を迎えた年として、歴史的に記憶されることになるのかもしれません。
私は、明治維新百五十年の今年、明治から続いた一連の歴史の正体が明らかになり、この異様な百五十年の目的が天の意志による、聖書の二千年の終わりが、精神界において達成されるという、立場にいます。
明治の誤りは西欧の科学文明を、先行文明と勘違いして、それをモデルに近代化を進めたことでした。その結果、資本主義の鬼っ子である共産主義を、科学的進歩主義のように誤解して、いい人のものと信じる風潮が生まれました。
戦前の右翼も天皇制共産主義者とでもいうべき考え方を持っていた人間グループなので、マルクス主義の文献の翻訳なしに生まれようのない政治勢力だったのです。
ここで、マルクス主義というものが、世界の金融資本家たちによる旧体制の帝制や王制の打倒のためのツールとして使われたという歴史上の事実に向きあえば、この日本という国家もまた、世界の金融資本家の策謀のなかで踊らされたこともわかるはずです。
アメリカの対日戦略は、ハワイの次は日本列島という、ペリーから一貫した西への拡大という地政学的な欲求に基づくものでしたし、それが達成された後には、中国もまた、影響下に置くというものであったはずですが、毛沢東の中国になって、その潜在的願望が変質したように見えます。はっきりしているのは、大英帝国で育った金融資本家は、次にアメリカの覇権を育て、その対立軸として育てていた旧ソ連が崩壊すると、もうひとつの対立軸として中国共産党を育てたという歴史的経緯です。この歴史のくり返しを正しく理解することができれば、いまもこの世界は、植民地を生んだマネーのシステムがそのまま成長して、全人類の支配を達成しつつあるという現実が見えてくるはずです。
かつて、近代経済学の祖ともいえるケインズが、いったような、経済成長によって、労働時間も減少し、豊かさをすべての人間が享受できるような未来は、この二十一世紀初頭には現われてはいないのです。
なぜでしょうか。理由は簡単で、いまのマネーのシステムが、すでに資産を蓄積したグループの資産をさらに増加させるようにしか機能していないからです。
このシステムがある限り、貧富の格差が縮まることはないし、戦争という、金融資本にとっては、有効なスクラップアンドビルドのシステムもなくなることはありません。これが、いまある世界の仕組みなのです。
日本で、平和を叫ぶ、ほとんどの人間グループは、左翼またはリベラルという思想的立場にいますが、その思想的根拠は、マルクス主義と同様に、世界の金融資本家たちの利益に奉仕するようにプログラムされたある種の刷り込みだというのが、精神界の認識なのです。
もし、この世界の多くの人間の意識が、足るを知り、争わない方向にいくならば、いまの金融システムは崩壊し、何も残りません。にもかかわらず、平和を叫ぶものたちがそうした戦争を好む人間グループに操作されていると断定できるのは、それによって誰が利益を得るのかを考えればいいからです。
私が、いまの日本列島が平和な内戦状態にあるといっているのは、そうした平和を叫ぶ人間グループの背後にいて、帝政ロシアのロマノフ王朝のように、天皇のいる日本を終わらそうとする勢力が、闇のなかから姿を現わしつつあるのが見えているからです。

二千十八年五月十日 積哲夫 記