Vol.591

神民共治

日本という国の政治システムは、西欧の近代民主主義を、思想的には超えた君民共治であったというのが、日本史を正しく知れば理解できるはずなのですが、戦後の民主主義教育というものは、その正しい日本史の否定から出発しています。その目的でなされる、日本語教育の結果が、日本社会の民度の急激な低下にあらわれているというのが、私の時代認識です。
人間のたましいが、精神界にルーツを持つ限り、天の正義に反する情報を教え込まれた人間の脳の思いの回路に、人間の肉体の側にある生命のルールに基づく情報系が反乱を起こすのは当然なのだ、と考えると、「児童虐待」や、「いじめ」も「不登校」も、戦後教育の結果ということになります。その意味では、歴史上はじめての危機に日本列島は、直面しています。さらに、今上天皇が間もなく譲位されますが、精神界からの伝達によれば、これで天皇というシステムの歴史的役割も一応、終了し、「おおみこころ」は「おおみたから」たる日本人全員のこころとして継承されることになります。それは、君民共治という、古来からの日本のシステムの転換をも意味しているのです。
このタイミングで、私のもとに、神と民の共治が、これからの日本のシステムになるという告知がありました。
実は、この背景には、日本神界の神格が次のステージに移行するために、過去の仕組みからの脱却をはかっているという精神界の変動があるのです。
具体的には、この三月の大分におけるカウンセリングで、日本神界の重要な役割を担ってきた祓い戸の神々の神格転換が、ある種の神懸り状態で報告されるという事態が生じました。
その後、戦後、日本の価値観の中心にいた、アメリカ資本主義由来の悪魔的意識体を、日本人の身体のなかで審判する、または、正しく祓うシステムが、確立されるという事象も連続して起きたのです。
精神界的にいうと、これによって、はじめて、日本という国は、アメリカの属州という戦後秩序から、脱出することが可能になるということです。
キリスト教文化圏の悪魔は、聖書の神が造物主たる神でないことを知って、地上に降りたというルーツを持っています。彼らは、聖書の神が存在しなくなった地球上では、その存在の根拠を失うのです。
この視点で、いまの世界を見てください。
ユダヤ教とキリスト教とイスラム教という同じルーツを持つ宗教的対立に加え、一神教の鬼っ子とでもいうべき共産主義というイデオロギーによる世界征服を目指す人間グループが地球の所有権を争っているだけだとわかるはずです。
人間は、その争いのために、多くのマイナスの精神的エネルギーを供給するようにコントロールされている哀れな存在なのです。
ただ、いまの世界を支配しているマネーの所有者の背後にある精神的エネルギーの正体を、すでに目覚めた人間は発見してしまっています。
明治百五十年で、何かが終わるという精神界の伝達の根拠が、この地球全体を支配しようとしている巨悪が、聖書が伝えてきたアンチ・キリストであり、それを克服する唯一の知識が、精神学だということなのです。
日本列島に、この仕組みを置いた存在は、一神教の時代にこの地上が血塗られることを知りながら、用意し、その時の役割を担う神々のワケミタマを地上に降ろし続けました。
この二千十八年にはじまっているこの転換は、この大きな神の謀の証明といえるのです。悪魔が地上を支配しているということは、天には真の神が存在し、約束ははたされるという物語の時空に私たちが生きているということを示しています。このデータが、人類のたましいに投影されるとひとつの時代が終わります。

二千十八年三月八日 積哲夫 記