Vol.530

日本の目標

この世界は、日本とその他の世界という、二つの並行する時空があるというのが、私が精神学というものをこの世に伝達する役割を担わされ、学ばされてきた三十数年の体験からの実感です。
それが、天と地の中間に存在している、アシハラナカツクニとしての日本列島の存在の意味なのです。
天にとってそれほど重要な、日本という国が、広島、長崎の二発の原爆をはじめとする徹底的な破壊の対象とされたのは、なぜなのか、という素朴な疑問の私なりの回答が、イエスの最後の言葉、あの「神よ、神よ」という悲痛な言葉を、当時の全国民に追体験させた天のプログラムであったというものです。
明治時代には、吹いていたと思える神の息吹きが、昭和の日本には一度も吹きませんでした。その原因には、明治維新は、もともと精神界が用意していたこの国が、世界の統治システムのモデルとなるような物語とは、まったく別の半島と大陸への侵略者となる物語の時空の扉を開いてしまったという、精神界の主張の代弁者が、私なのですが、今ではこうした知識が、多くの日本人の意識上に根づきはじめています。
私が知る、日本の神々は、明治維新の利得者である戦前の華族階級や軍部の特権を、一切、否定していました。明治維新の背後に、イギリスやフランスやアメリカのフリーメイソンリーの存在があることはもはや疑いようもありませんが、天は、彼らの影響下にあった大日本帝国というものを、神の息吹きを受けている、アメリカという若くて野蛮な国家によって、消滅させる道を選びました。その結果として、生まれた現行憲法をいただく日本国は、アメリカの属州としての地位に貶められたまま、いまも存在しています。
このくびきを、歓迎する多くの敗戦利得者が、現実の政治や経済を動かしてきたのが現在の姿なのですが、これからの世では、資本主義の強欲を行動原理とするアメリカと、社会主義という独裁体制の強欲に忠実な中華人民共和国とが、この世の支配権を争うことになります。
かつて、アメリカは大陸における役割の一部を大日本帝国に委ねることで、大きな利得を手にしましたが、そのアメリカが大日本帝国を打ち倒してからは一度も、戦争に勝利していないという歴史的事実には、いまも気づいていません。そして、このゲームには、属州の日本国は、敗戦後、今日まで参加することをしいられることはなかったということにも、多くの人間は気づいていません。その結果として何が現実世界で起きているかというと、アメリカ合衆国は、日清、日露を戦った明治期の日本と同じ地政学的な地位にいるという、ある種の危機的状況です。
これは、地球の支配権をめぐる争いにほかなりません。かつて、大日本帝国の軍部は、国家の生存圏を国防圏として設定しましたが、いまの中華人民共和国の国民を生かすためには、全地球の資源を必要とします。この強欲と強欲が、ぶつかり合うのが、この二千十七年の世界の姿でしょう。
ただし、マネーで世界のルールを買ったように見えても、マネーで買ったものは、マネーの供給が続かなくなると、そのルールそのものが消滅していくのが、この人の世というものです。
元という通貨の危機とユーロという通貨の危機は、すでに、いまそこにあります。
この時代に、日本国が、世界に影響を与えるポジションに立つ、ただひとつの条件が、自分たちが独立した国家として、この世に存在しようという意志の明確化です。
これまでの歴史は、この国が世界のどの国やエリアを犠牲にすることなく繁栄してきたという事実を伝えています。この世界から日本という存在が、なくなった地球を想像することができない人間がこのペースで増加していけば、日本が天と地の中間に位置するひとつのモデルであることに合意するものも増えていくはずです。これこそが、日本のしくみの本質であり、思いやりや優しさが、統治の本質にある新しい時代の幕を開くルールが、そこから生まれます。

二千十七年一月五日 積哲夫 記