vol.525

開戦から七十五年

今から七十五年前に、大日本帝国海軍は真珠湾を攻撃し、それから三年と八か月で、戦うべき船のほとんどを失って敗北しました。歴史を正しく観察すると太平洋におけるこの戦いの正体は、大日本帝国海軍とアメリカ合衆国の戦いであったことがわかります。満州の北側を主戦場と想定していた陸軍は、大陸においては、終戦時まで、優勢であり続けましたが、敗戦後の日本では、事実上その記憶は消滅してしまいました。一方、敗戦の主たる責任を担うべき、海軍は、アメリカ占領軍との友好な関係らしきものを持ったためか、いまも、海上自衛隊にその文化的精神的遺産は継承されています。
このような事象をもって、歴史に疑念を持つ人間は、山本五十六をはじめとする海軍軍人に、フリーメイソンリーを通じたアメリカ側との協力があった可能性を指摘しています。この戦争に対する責任は、日本人なら次のように理解しているはずです。
内閣がはじめた戦争を、天皇が終わらせた。
この事実に向き合えば、大日本帝国憲法という明治維新後につくられた憲法のために、元首たる天皇の意に反して、臣たる者たちが戦争をはじめ、それを終わらせることを臣たる者たちは放棄したという行動がとれ、その責任も追及されていないということになります。
この国は、人類史上、最も古い法治国家であるという成り立ちを持っています。しかし、明治維新がつくり出した西欧由来の憲法は、その出発点に、大きな欠陥を内包していたため、このような運命を国民に強いることになったというのが私の知らされているところです。
あと二年で、明治維新から百五十年という節目が来ますが、天のスケジュールでは、アメリカによって開かれ、アメリカに打ち破られ、アメリカの属州としての期間に受け入れた一神教由来の悪魔を、日本人の神性によって、処理できるようになった暁には、この国が地球全体の光のもとになることになっています。
現在の日本人の意識のレベルは、残念ながら、敗戦後に生まれた対米従属者の日本否定論の延長上にあるに過ぎません。これは、政治家もマスメディアも、その大勢は、占領下で操作された日本侵略者史観というものから解放されていないことからもあきらかです。
話は変わって、いまヨーロッパでもアメリカでも、つまりキリスト教圏の先進国といわれている地域で、悪魔憑きという現象が急増していて、ヴァチカンでは、悪魔祓いのできる人材の教育に努めていると伝えられています。
実は、この日本でも、こうした魔憑きの人間は増加しています。いままでの日本では、起こりようのなかった凶悪な事件の報道が相次いでいるのは、こうした世界の反映にほかなりません。しかも、このタイミングで、キリスト教の歴史の負の遺産である、異端審問に代表される、拷問と殺戮の加害者と被害者のたましいが、人間界に影響を与えはじめています。
キリスト教文明圏においては、人間のたましいは、最後の審判の時にのみ復活させられるという教義を、殺す側も殺される側も信じていたために、この世の側に出てこなかった霊魂が、生きている人間の小宇宙の内部で復活をはじめているといってもいいのです。この時代の流れは、止まりようがありません。
私の認識では、殺して、殺して、勝者として、この地上の支配権を確立してきた人間グループの末裔のたましい、または、霊体に、殺された者たちの呪いが投影されているということになります。人類が、このような霊性の転換点に立つことなどは、人知では予測不能なものだったはずです。これこそが、この国がアメリカに原爆を落とされ、ハーグ陸戦条約に違反するかたちで、GHQから現行憲法を押しつけられ、いまも、それを有難がる人間グループが人口の約半数であるという現在に到る道で形成された、一神教の最終ステージとしての日本国の姿です。
これからの日本人は、右と左に分けられるのではありません。光の者と闇の者とに分けられるのです。
真珠湾を攻撃した日本の航空機は、厳密に軍事目標だけを攻撃したことを、この国の教育は教えているでしょうか。アメリカ軍の爆撃は、日本の一般民衆を対象とし、それが広島、長崎への道をひらいたことを忘れるべきではありません。その罪をあがなうのは、死者ではなく、生きている人間の役割となる日が近づいています。

2016年12月8日 積哲夫 記