vol.508

国民の意識

この平成28年8月8日に今上陛下のメッセージが全国民に発せられました。くしくもこの日に、私と坂本敏夫の対談が最終回の掲出となったのも何かの用意かもしれません。これもくり返しになりますが、この日本国の天皇としての完成形が、今上陛下というのが、精神界の伝えるところです。明治時代にできた皇室典範に変更が加えられるとすれば、その前に、憲法そのものをいまの日本人が考えることが大きな前提条件になるはずです。安全保障上の改憲論議だけをしてきた日本人は、現行憲法の有名な第九条までの、第一条から第八条までが、すべて天皇に関することだということに、これで気づくはずです。
アメリカが日本に押しつけたとされる現行憲法が、これまで変わらなかったことと、戦前の大日本帝国憲法が一度も改訂されなかったことは、この国の文化的特質をあらわしています。
多くの日本人が、憲法が国家の暴走を律するための法であるという、フランス革命以来の西洋史の基礎的教養すら持っていないという現実をみれば、明治維新から今日までのこの国の歩みはなんであったのかという素朴な疑問が生じるはずなのですが、多くの識者にもメディアにもその問題意識はありません。この知性の欠落は、いまのアメリカの姿と多くの点で重なります。
アメリカの物質文明をモデルとしてきた戦後日本の社会は、そのモデルと同様に死に到る病に侵されています。そして、その価値観の信奉者であった団塊の世代も、その死に到る病に侵されています。
いまこの国では、西洋文明に由来する、資本主義や社会主義といったイデオロギーを骨格に持つ政治的勢力が、戦後のシステムの中で利権集団を形成し、変化を阻止する岩盤のようなものになったことに気づいた人間の反乱がはじまりつつあるといってもいいのでしょう。この変化は、論壇やメディアの識者には読み解けないものですが、これから、さらに加速するはずです。
アメリカの政治風土では、こうした動きは、反知性主義のレッテルを貼られるはずですが、ほんとうのところは、メディアに洗脳されなかった人間の直観的な知性の発動なのです。
日本の場合、戦後のメディアの洗脳によって、天皇という存在への敬愛の念は、失われる方向に誘導され続けたのですが、今上天皇のおはたらきによって、ほとんどの日本人の心に日本国と天皇と自分たち国民というある種の三位一体のイメージが形成されています。実は、これこそがこの日本列島という特別な場所において、精神界が準備してきた日本の仕組みの根の部分なのです。その証左に、天皇をあえて日王と記述する隣国を一般の日本人が許せないと感じ、そのことが政治的ムーブメントとして、急速に拡大しつつあります。
同様に尖閣諸島に押し寄せている中国共産党の指令を受けた公船と称するものと、漁船と称するものの大船団を、一般の日本人は明確な侵略だと感じて、国民レベルでの民間防衛の論議も深まっていくはずです。
こうした国民の意識のレベルと、大手のメディアの伝達する情報の差の間にある巨大なギャップが、いまの政治的な情況では、ほとんど表面化していないというところから、まったく新しい政治的な問題意識が生まれるはずなのです。私はこれを、新しいタイプの国学、または日本文明学のはじまりだと考えていますが、そこまで根本的なところから考え直さない限り、この国が、いま直面している危機に対応することはできません。
ここに到って、この国を敗戦への道に導いた戦前の東アジア共同体幻想をつくり出した紅卍字会のようなデータが急速に歴史の暗い闇のなかから放出されはじめています。そこには、戦後日本のシステムの負のデータだけではなく、宗教的な負債も大量に含まれているようです。これらが開示されて、2016年の8月15日がくると、その先にみえるのは、ほんとうの日本のあるべき姿であるはずです。
今上陛下の言葉は、その扉を開くみことのりであったと後世のものは伝えることになるのでしょう。

2016年8月10日 積哲夫 記